2006/6/29
AERAから返事がありました 音楽全般
先日のメールに対して、先ほどAERA編集部の記事を担当された方から電話がありました。
こちらの指摘した内容を全面的に認めて、謝罪したいとのことでした。既に北村氏にも連絡を取り、選挙日の誤りなどの基本的な部分は彼もミスを認めていたそうです。ただあまり突っ込んだ話しはしていなさそうでしたが。僕のメールも彼には転送していないそうです。
この企画、北村氏から「ニューオーリンズの復興が進んでいないという現状をジャズフェスと絡めて書きたい」と提案があったとのことでした。これには驚きました。なぜ、ニューオーリンズにもジャズフェスにも興味がなさそうな彼が、自分からそんな提案をしたのか、不思議です。
ちょうどAERAの担当の方がニューオーリンズ好きな人で、いずれにせよジャズフェスかニューオーリンズに関する企画を通したいと思っていたところだったので、北村氏の提案は渡りに船だったということだそうです。北村氏はAERAの仕事は初めてで、担当の方は「彼について調べてからOKすべきだったと反省している」と言っていました。企画を通した段階では、彼についての情報はなく、彼のブログもみていなかったそうです。
記事があの形に落ち着くまで、かなりの手直しがあったとのことで、最初はもっと主張が散漫であったり、事実関係が曖昧なところが多かったと言われていました。
僕も繰り返しこの件に関する言い分を述べさせてもらいました。そうしているうちに、何だか担当の人がかわいそうに思えてきました。とは言え、やはり結果として出た記事に対する責任は負ってもらいたいですね。しかしながら、訂正記事というのは現実的に難しいようです。「ニューオーリンズ企画をシリーズ化して、今後の記事で事実上の訂正のような形ができれば...」と歯切れの悪い返事が返ってきました。ある程度は想像がついていましたが、これについてはがっかりです。僕は「あの記事が誤解を与えたわけだから、はっきりとあの記事の内容はこうこう問題があった」というフォロー記事でないと無意味だと言っておきましたが。彼の「ニューオーリンズをシリーズ化したい」という熱意は買いたいとは思うんですが、通るかどうかはわかりませんよね。
延々話してさっき電話を置いたところです。そんな訳で、一応進展はちょっとだけありました。担当者が判ったので、またそのうちこちらからも連絡を入れてみたいと思います。
ご報告でした。
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こちらの指摘した内容を全面的に認めて、謝罪したいとのことでした。既に北村氏にも連絡を取り、選挙日の誤りなどの基本的な部分は彼もミスを認めていたそうです。ただあまり突っ込んだ話しはしていなさそうでしたが。僕のメールも彼には転送していないそうです。
この企画、北村氏から「ニューオーリンズの復興が進んでいないという現状をジャズフェスと絡めて書きたい」と提案があったとのことでした。これには驚きました。なぜ、ニューオーリンズにもジャズフェスにも興味がなさそうな彼が、自分からそんな提案をしたのか、不思議です。
ちょうどAERAの担当の方がニューオーリンズ好きな人で、いずれにせよジャズフェスかニューオーリンズに関する企画を通したいと思っていたところだったので、北村氏の提案は渡りに船だったということだそうです。北村氏はAERAの仕事は初めてで、担当の方は「彼について調べてからOKすべきだったと反省している」と言っていました。企画を通した段階では、彼についての情報はなく、彼のブログもみていなかったそうです。
記事があの形に落ち着くまで、かなりの手直しがあったとのことで、最初はもっと主張が散漫であったり、事実関係が曖昧なところが多かったと言われていました。
僕も繰り返しこの件に関する言い分を述べさせてもらいました。そうしているうちに、何だか担当の人がかわいそうに思えてきました。とは言え、やはり結果として出た記事に対する責任は負ってもらいたいですね。しかしながら、訂正記事というのは現実的に難しいようです。「ニューオーリンズ企画をシリーズ化して、今後の記事で事実上の訂正のような形ができれば...」と歯切れの悪い返事が返ってきました。ある程度は想像がついていましたが、これについてはがっかりです。僕は「あの記事が誤解を与えたわけだから、はっきりとあの記事の内容はこうこう問題があった」というフォロー記事でないと無意味だと言っておきましたが。彼の「ニューオーリンズをシリーズ化したい」という熱意は買いたいとは思うんですが、通るかどうかはわかりませんよね。
延々話してさっき電話を置いたところです。そんな訳で、一応進展はちょっとだけありました。担当者が判ったので、またそのうちこちらからも連絡を入れてみたいと思います。
ご報告でした。
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2006/6/28
マッカチンさんのジャズフェス・レポート ニューオーリンズ
そうだ、今更だけど、毎年ニューオーリンズ・ジャズフェスに行ってるマッカチンさんの今年のレポートがちょっと前にアップされていますので、ぜひみなさんご一読を!
「ミシシッピのほとりから」(byマッカチン)

マッカチンさんとは97年のジャズフェスで会っていらい、実に9年ぶりに今年再会したんですが、そんな時間が経っている感じもしなかったな。彼は、あの年が初めてで、それ以来殆ど毎年行って、毎年レポートを書いています。継続は力なりっていうけど、ここまで続くと相当強力な力ですね。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/NOM/06/index0.htm
何でも、現地でライブ見た後に宿泊先で原稿を書いていたというからすごいことです。僕が以前レポート書いたときは、日本に帰ってからまとめて書いてましたからね。結構、アーティストによっては「見た」って以上にたいして覚えていない人もいたりして、思い出すのに大変だったような。やっぱ、現地で書くのがいいんでしょうが、ライブ終わったらバタンキューですから。(笑)
でも、最近はブログという便利なツールが出来たおかげで、レポートはやりやすくなりましたね。そういう僕も今年は現地から簡単なレポートしてたし。
マッカチンさん、おつかれさん。
来年も期待してるよ。(って早いか)
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「ミシシッピのほとりから」(byマッカチン)

マッカチンさんとは97年のジャズフェスで会っていらい、実に9年ぶりに今年再会したんですが、そんな時間が経っている感じもしなかったな。彼は、あの年が初めてで、それ以来殆ど毎年行って、毎年レポートを書いています。継続は力なりっていうけど、ここまで続くと相当強力な力ですね。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/NOM/06/index0.htm
何でも、現地でライブ見た後に宿泊先で原稿を書いていたというからすごいことです。僕が以前レポート書いたときは、日本に帰ってからまとめて書いてましたからね。結構、アーティストによっては「見た」って以上にたいして覚えていない人もいたりして、思い出すのに大変だったような。やっぱ、現地で書くのがいいんでしょうが、ライブ終わったらバタンキューですから。(笑)
でも、最近はブログという便利なツールが出来たおかげで、レポートはやりやすくなりましたね。そういう僕も今年は現地から簡単なレポートしてたし。
マッカチンさん、おつかれさん。
来年も期待してるよ。(って早いか)
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2006/6/24
AERA編集部に送ったメール 音楽全般
先日話題に出したAERAのジャズフェスに関する記事について編集部に感想のメールを出しました。一応、メールの内容を公開します。
先日の日記とあまり変わりませんが、もう少しコメント個所が増えています。長くてすいません。_(_^_)_
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2006年6月26日号掲載の記事「復興のうたげ、苦い後味」(北村和哉氏)を拝読いたしました。多くの人に愛されるニューオーリンズという街に対して愛情の感じられない本記事掲載に、その被災状況に心を痛めているひとりとして、とても残念に思います。
私も先日ニューオーリンズに2週間ほど滞在し、北村氏と同じくジャズフェスを始め、市の状況を見てきましたが、印象は氏とはかなり異なるものでした。被災地の多くで復興が殆ど進んでいないのは事実ですが、街を復興するためのボランティアも活動していますし、強度の問題を指摘されながらも堤防の再建工事も進んでおり、下9地区隣接の工業水路沿いの堤防は私が見た5月初旬の時点でほぼ完成というところまで来ていました。また、各地の音楽ファン等が現在も募金活動も行っており、Musicares等の団体がその受け皿となって被災者に支援金を渡しています。日本にも支援団体が複数存在します。
記事の全体を覆いつくすネガティブなトーンには、そのようなポジティブな面が抜け落ちており、復興のためにどうすればいいのかなどの提言や問題提起があるわけでもありません。このような内容は、復興を願う多くの人々に対してあまりにも無神経であり、また何ら役に立ちません。北村氏のブログを見ると、氏は被災者への同情もジャズフェスに対する興味もあまりないと公言しています。このような執筆者に執筆依頼をする編集部の姿勢に疑問と憤りを感じます。
また、内容的にも明らかな誤りあるいは誤解を招く記述が多く含まれております。以下指摘をさせてもらいます。
1.現地の被災状況について
記事右下写真のキャプションに「ニューオーリンズ最大の観光資源でだったフレンチクオーターにある廃屋。修復された家屋も多いが、廃屋となったものも残る」とあります。フレンチクオーターが比較的被害の少ない地域だったのは周知の事実です。細かい被害はありますが浸水は免れていますし、私のみる限り写真のように大きく壊れている建物は皆無でした。これがフレンチクオーターの写真であったとしても、同地区の様子を的確に伝えたものとは到底言えません。
一方、記事には、最大の被害を受けた下9地区(Lower 9th Ward)ならびにレイクビュー地区等への言及がありません。特に下9地区は貧しい黒人たちが多く住み、ニューオーリンズ音楽の源泉とも言われる地域ですので、音楽という視点から被災を語る上では避けて通れません。私がここを訪れた際、広がっていたのはフレンチクオーターとは別世界の言葉を失うほどの廃墟でした。作業員等がところどころいるだけで、住民はまったくいません。北村氏が触れていたジャズフェス会場周辺の被災状況と比較しても、明らかに被災のレベルが違いました。
サブタイトルの「ダウンタウンに復興の光は見えない」という記述も疑問です。市全体の被災状況がダウンタウン(フレンチクオーターとその近辺)と同程度であれば、復興はさほど難しくないでしょう。
記事は、被災地を十把ひとからげにし、フレンチクオーターに集約してしまおうという意図が感じられ、著しく事実を誤認させるものと言わざるを得ません。フレンチクオーターはニューオーリンズのほんの一部でしかないことを認識して欲しいと思います。
2.ジャズフェスの集客について
ジャズフェスの観客動員について「例年に比べ2〜3割ほど少ない」との「広報担当者」のコメントが紹介されていましたが、これは具体的には誰の発言なのでしょうか?今年は公式な観客数が発表されていませんので断定的なことは言えませんが、計4回同フェスに行っている私の眼からみて出足は決して悪くなく、どちらかというと例年より人出は多いとさえ思いましたので、違和感を感じました。また、フェス・プロデューサーのクイント・デイヴィス氏も「例年よりは出足はよい」とコメントしており、それは地元メディアで報道されました。そういう事実には触れず、匿名の「広報担当者」の発言を引用して出足が悪いかのような印象を与えることは、事実を歪曲するに等しい行為と考えます。
さらに申し上げれば、仮に観客が例年より2〜3割少なかったとしても、それは失敗ではなく状況から判断しても「2〜3割程度の減少にとどめることができた」と考えるのが自然ではないかと感じるのです。会場となったフェアグラウンズ競馬場もカトリーナで浸水しており、被災当初はフェス開催自体を危ぶむ声も聞かれました。市民の半数がいまだ戻らず、インフラも依然脆弱、フェス主催者の財務状況も被災前から危機的な状況にあったという事実を踏まえれば、2〜3割減であっても大成功でしょう。
ニューオーリンズは様々な問題を抱えたままの状態であるものの、私はジャズフェスは、地元経済にも好影響だったろうと思いますし、地元の人々を元気づけることにもなったと思います。しかし、記事では「苦い後味」と表現するなど、まるでフェスが失敗であったかのような書かれ方をされており、逆境の中で開催に尽力した関係者に冷や水を浴びせるようで、とても残念です。
3.ジャズフェス期間中のフレンチクオーターの状況について
「カトリーナ以前だったら、フェスティバル期間中、通りは人があふれ出ていた」のに、今年は「人影は疎ら」とありました。個人の印象の差はあれど、「人影は疎ら」というのは、明らかに嘘です。特に週末の夜はレストランは最低でも1時間待ちという混雑ぶりで、歓楽街のバーボン・ストリートは人の多さにうんざりするほどでした。まだ再開していない店が多くあり、以前よりも早い時間に店じまいをしてしまう店もあったのもまた事実ですが、フェス期間中の人出は、例年に近い賑わいを見せていたと思います。北村氏が「人影は疎ら」と主張されるのであれば、フェス開催中の昼間か早朝に行かれたのか、もしくはもともと人通りがあまり多くない部分を見てそういう印象を持たれたのかも知れませんが(フレンチクオーター内全てが歓楽街ではありません)、全体的に見て事実とは異なります。もちろん「フェス終了後に人出が一気に少なくなった」というのであれば、それはまた別の話です。
3.フェス出演者のカトリーナに対するコメントについて
私は6日間全日フェスに通い、多くのアーティストの演奏の場に居合わせましたが、多くのミュージシャンがハリケーンに関するコメントをしていたという印象を受けています。北村氏のブログの記載通りであれば、氏は殆どジャズフェス会場でライブは見ていないに等しく、そのような限定的な体験のみで、ミュージシャン達がハリケーンについて触れていないという印象を受けたとコメントするのは不適切であると考えます。
さらにはハリケーンについて「コメントすることほど虚しいものはない」などと述べるのは、コメントしたミュージシャンに対して失礼でしょう。多くの地元ミュージシャンが「このような苦難のときにもニューオーリンズを愛してくれてありがとう」と語り、地元以外のミュージシャンが復興にエールを贈るのを聞いて、私は感動を覚えました。それが自然な感情というものではないでしょうか?決して虚しいものではありません。「そんなことより」とは何たる言い草でしょうか?北村氏がどう感じるかは自由ですが、それは氏の個人的なものにとどめるべきです。
4.パーティーは続いている
「パーティーは続いている」とのアラン・トゥーサンのコメントの件。これは彼が披露した新曲"There's A Party Going On"のことですが、日本語に訳すと「パーティーが今行われている」というような意味であり、「続いている」は誤訳だと思います。小さいことかも知れませんが、記事中繰り返し出てくる上に、見出しにも使われていたので気になりました。
5.例年通り?
また、記事にはフェスが例年通り開催されたとありますが、正確には例年通りではありません。昨年までは7日間もしくは8日間の開催でしたが、今年は短縮されて6日間になりました。また、ステージ数もブルース・テントがなくなり1つ減っています。細かい変更点はまだありますが、以上二点は明らかに「例年通り」と言えない大きな変更点(規模縮小)です。但し、それは開催に漕ぎ着けたという成果の前では必要以上に強調するべきことではないことは言い添えておきます。尚、記事右上キャプションに「6ステージなどが会場には設けられた」とありますが、今年のステージ数は計10です。6という数はどこから出てきたものか不明です。テントをステージと数えなかったということでしょうか?テントも屋根があるだけで、ステージであることには変わりありません。
6.市長選
5月22日に行われたとありますが、正しくは4月22日です。決選投票が5月20日にありましたので、両者を混同されたものと思われます。文章の内容は決選投票のことを書かれているようです。
この記事を通して北村氏が、また編集部が何を訴えたかったのかが、私には判りませんでした。被災地のその後の現状を伝えるにも事実は歪曲されている上に、「伝えたい」という気持ちも感じられません。政治批判のようなものもあるようではっきりせず、説得力は乏しいと思います。結局のところ、私には北村氏が被災地をネタに言葉遊びをしているだけのように感じました。
現地の厳しい状況の中で、具体的な復興策とあわせて今最も必要なのは現状に対する人々の理解と思いやりの気持ちだと思います。今後、御誌がそのような観点に立った記事を企画されることを切に願っております。また、少なくとも事実誤認の部分だけでも次号以降での訂正をお願いしたいと思います。反論や不明点があれば、お知らせ下さい。もちろん、本メールを北村氏に転送頂いても構いません。
なにとぞ、ご考慮のほどお願いします。
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先日の日記とあまり変わりませんが、もう少しコメント個所が増えています。長くてすいません。_(_^_)_
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2006年6月26日号掲載の記事「復興のうたげ、苦い後味」(北村和哉氏)を拝読いたしました。多くの人に愛されるニューオーリンズという街に対して愛情の感じられない本記事掲載に、その被災状況に心を痛めているひとりとして、とても残念に思います。
私も先日ニューオーリンズに2週間ほど滞在し、北村氏と同じくジャズフェスを始め、市の状況を見てきましたが、印象は氏とはかなり異なるものでした。被災地の多くで復興が殆ど進んでいないのは事実ですが、街を復興するためのボランティアも活動していますし、強度の問題を指摘されながらも堤防の再建工事も進んでおり、下9地区隣接の工業水路沿いの堤防は私が見た5月初旬の時点でほぼ完成というところまで来ていました。また、各地の音楽ファン等が現在も募金活動も行っており、Musicares等の団体がその受け皿となって被災者に支援金を渡しています。日本にも支援団体が複数存在します。
記事の全体を覆いつくすネガティブなトーンには、そのようなポジティブな面が抜け落ちており、復興のためにどうすればいいのかなどの提言や問題提起があるわけでもありません。このような内容は、復興を願う多くの人々に対してあまりにも無神経であり、また何ら役に立ちません。北村氏のブログを見ると、氏は被災者への同情もジャズフェスに対する興味もあまりないと公言しています。このような執筆者に執筆依頼をする編集部の姿勢に疑問と憤りを感じます。
また、内容的にも明らかな誤りあるいは誤解を招く記述が多く含まれております。以下指摘をさせてもらいます。
1.現地の被災状況について
記事右下写真のキャプションに「ニューオーリンズ最大の観光資源でだったフレンチクオーターにある廃屋。修復された家屋も多いが、廃屋となったものも残る」とあります。フレンチクオーターが比較的被害の少ない地域だったのは周知の事実です。細かい被害はありますが浸水は免れていますし、私のみる限り写真のように大きく壊れている建物は皆無でした。これがフレンチクオーターの写真であったとしても、同地区の様子を的確に伝えたものとは到底言えません。
一方、記事には、最大の被害を受けた下9地区(Lower 9th Ward)ならびにレイクビュー地区等への言及がありません。特に下9地区は貧しい黒人たちが多く住み、ニューオーリンズ音楽の源泉とも言われる地域ですので、音楽という視点から被災を語る上では避けて通れません。私がここを訪れた際、広がっていたのはフレンチクオーターとは別世界の言葉を失うほどの廃墟でした。作業員等がところどころいるだけで、住民はまったくいません。北村氏が触れていたジャズフェス会場周辺の被災状況と比較しても、明らかに被災のレベルが違いました。
サブタイトルの「ダウンタウンに復興の光は見えない」という記述も疑問です。市全体の被災状況がダウンタウン(フレンチクオーターとその近辺)と同程度であれば、復興はさほど難しくないでしょう。
記事は、被災地を十把ひとからげにし、フレンチクオーターに集約してしまおうという意図が感じられ、著しく事実を誤認させるものと言わざるを得ません。フレンチクオーターはニューオーリンズのほんの一部でしかないことを認識して欲しいと思います。
2.ジャズフェスの集客について
ジャズフェスの観客動員について「例年に比べ2〜3割ほど少ない」との「広報担当者」のコメントが紹介されていましたが、これは具体的には誰の発言なのでしょうか?今年は公式な観客数が発表されていませんので断定的なことは言えませんが、計4回同フェスに行っている私の眼からみて出足は決して悪くなく、どちらかというと例年より人出は多いとさえ思いましたので、違和感を感じました。また、フェス・プロデューサーのクイント・デイヴィス氏も「例年よりは出足はよい」とコメントしており、それは地元メディアで報道されました。そういう事実には触れず、匿名の「広報担当者」の発言を引用して出足が悪いかのような印象を与えることは、事実を歪曲するに等しい行為と考えます。
さらに申し上げれば、仮に観客が例年より2〜3割少なかったとしても、それは失敗ではなく状況から判断しても「2〜3割程度の減少にとどめることができた」と考えるのが自然ではないかと感じるのです。会場となったフェアグラウンズ競馬場もカトリーナで浸水しており、被災当初はフェス開催自体を危ぶむ声も聞かれました。市民の半数がいまだ戻らず、インフラも依然脆弱、フェス主催者の財務状況も被災前から危機的な状況にあったという事実を踏まえれば、2〜3割減であっても大成功でしょう。
ニューオーリンズは様々な問題を抱えたままの状態であるものの、私はジャズフェスは、地元経済にも好影響だったろうと思いますし、地元の人々を元気づけることにもなったと思います。しかし、記事では「苦い後味」と表現するなど、まるでフェスが失敗であったかのような書かれ方をされており、逆境の中で開催に尽力した関係者に冷や水を浴びせるようで、とても残念です。
3.ジャズフェス期間中のフレンチクオーターの状況について
「カトリーナ以前だったら、フェスティバル期間中、通りは人があふれ出ていた」のに、今年は「人影は疎ら」とありました。個人の印象の差はあれど、「人影は疎ら」というのは、明らかに嘘です。特に週末の夜はレストランは最低でも1時間待ちという混雑ぶりで、歓楽街のバーボン・ストリートは人の多さにうんざりするほどでした。まだ再開していない店が多くあり、以前よりも早い時間に店じまいをしてしまう店もあったのもまた事実ですが、フェス期間中の人出は、例年に近い賑わいを見せていたと思います。北村氏が「人影は疎ら」と主張されるのであれば、フェス開催中の昼間か早朝に行かれたのか、もしくはもともと人通りがあまり多くない部分を見てそういう印象を持たれたのかも知れませんが(フレンチクオーター内全てが歓楽街ではありません)、全体的に見て事実とは異なります。もちろん「フェス終了後に人出が一気に少なくなった」というのであれば、それはまた別の話です。
3.フェス出演者のカトリーナに対するコメントについて
私は6日間全日フェスに通い、多くのアーティストの演奏の場に居合わせましたが、多くのミュージシャンがハリケーンに関するコメントをしていたという印象を受けています。北村氏のブログの記載通りであれば、氏は殆どジャズフェス会場でライブは見ていないに等しく、そのような限定的な体験のみで、ミュージシャン達がハリケーンについて触れていないという印象を受けたとコメントするのは不適切であると考えます。
さらにはハリケーンについて「コメントすることほど虚しいものはない」などと述べるのは、コメントしたミュージシャンに対して失礼でしょう。多くの地元ミュージシャンが「このような苦難のときにもニューオーリンズを愛してくれてありがとう」と語り、地元以外のミュージシャンが復興にエールを贈るのを聞いて、私は感動を覚えました。それが自然な感情というものではないでしょうか?決して虚しいものではありません。「そんなことより」とは何たる言い草でしょうか?北村氏がどう感じるかは自由ですが、それは氏の個人的なものにとどめるべきです。
4.パーティーは続いている
「パーティーは続いている」とのアラン・トゥーサンのコメントの件。これは彼が披露した新曲"There's A Party Going On"のことですが、日本語に訳すと「パーティーが今行われている」というような意味であり、「続いている」は誤訳だと思います。小さいことかも知れませんが、記事中繰り返し出てくる上に、見出しにも使われていたので気になりました。
5.例年通り?
また、記事にはフェスが例年通り開催されたとありますが、正確には例年通りではありません。昨年までは7日間もしくは8日間の開催でしたが、今年は短縮されて6日間になりました。また、ステージ数もブルース・テントがなくなり1つ減っています。細かい変更点はまだありますが、以上二点は明らかに「例年通り」と言えない大きな変更点(規模縮小)です。但し、それは開催に漕ぎ着けたという成果の前では必要以上に強調するべきことではないことは言い添えておきます。尚、記事右上キャプションに「6ステージなどが会場には設けられた」とありますが、今年のステージ数は計10です。6という数はどこから出てきたものか不明です。テントをステージと数えなかったということでしょうか?テントも屋根があるだけで、ステージであることには変わりありません。
6.市長選
5月22日に行われたとありますが、正しくは4月22日です。決選投票が5月20日にありましたので、両者を混同されたものと思われます。文章の内容は決選投票のことを書かれているようです。
この記事を通して北村氏が、また編集部が何を訴えたかったのかが、私には判りませんでした。被災地のその後の現状を伝えるにも事実は歪曲されている上に、「伝えたい」という気持ちも感じられません。政治批判のようなものもあるようではっきりせず、説得力は乏しいと思います。結局のところ、私には北村氏が被災地をネタに言葉遊びをしているだけのように感じました。
現地の厳しい状況の中で、具体的な復興策とあわせて今最も必要なのは現状に対する人々の理解と思いやりの気持ちだと思います。今後、御誌がそのような観点に立った記事を企画されることを切に願っております。また、少なくとも事実誤認の部分だけでも次号以降での訂正をお願いしたいと思います。反論や不明点があれば、お知らせ下さい。もちろん、本メールを北村氏に転送頂いても構いません。
なにとぞ、ご考慮のほどお願いします。
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2006/6/20
AERAにジャズフェスの記事が 音楽全般
6月19日発売のAERA 2006年6月26日号に「災害ニューオーリンズに哀歌が響く」という記事がでています。北村和哉という音楽評論家が書いたもので、ジャズフェスを中心としたニューオーリンズ訪問レポートです。
早速読みました。が!この内容はなんだ。人それぞれ意見が違うのは当然ですが、しかしこの否定的なトーンはいただけない。全く、ニューオーリンズに対してもジャズフェスに対しても愛情のかけらも感じられない。復興が進まない現実を挙げるのはいいけど、と言って復興を呼びかけるでもなし、復興に一所懸命取り組んでいる人たちの姿を描き出すでもなし。ただ、ネガティブなだけ。
ジャズフェスもあたかも失敗だったと言わんばかりの書き方で、これじゃ逆境の中でフェスを実現させた関係者も浮かばれないよ。「観客が例年より2〜3割少ない」との「広報担当者」のコメントが書いてあるけど、それが具体的に誰なのか判らない。公式な動員数の発表がないから断定はできないけど、少なくともプロデューサーのクイント・デイヴィスが「例年より客の出足はいい」と胸をはっていたのは、地元紙やテレビでも報道されていたはず。そういうことには触れていない。ジャズフェス4回目だった僕が観ても、客入りは決して悪いようには見えませんでした。感覚としては2年前のより多いくらいでしたよ。
ニューオーリンズやジャズフェスに対してあまりにも無理解。というか、理解しようとしていないのが文章から伝わって来る。恐らくこの人は、フレンチクオーターとジャズフェス会場周辺以外は殆ど行ってないんでしょう。だって、内容を読んでいると「ニューオーリンズ=フレンチクオーター」なんだもん。
被災の説明をするのに、フレンチクオーターにあった廃屋の写真を出してきて、「修復された家屋も多いが、廃屋となったものも残る」なんてキャプションがついてる。フレンチクオーターが比較的被害の少ない地域だったのは周知の事実。しかも、最大の被害を被った第9地区やレイクビュー地区のことなど一言も触れていない。
「フレンチクオーターは、通常ジャズフェス期間中は人で溢れるのに、今年は人影も疎ら」なんて書いてあった。閉まったままの店が依然多いという現実はあったけど、フェス期間中はかなり混雑していたと思います。ある程度は「個人の印象の差」との説明もつくけど「人影は疎ら」とまで言うとこれは嘘と言っていいんじゃないでしょうか。もちろん、時間帯にもよるけどね。
あまりにも「なんじゃこれ?」な記事に、この北村っていう人はどういう人なのかと(最初北中正和氏と勘違いしてしまいました。失礼。)、ウェブで調べたら、彼のブログがありました。これを読むと益々彼のニューオーリンズに対する無理解ぶりが判ります。ほんとに何なのこの人?
http://www.rollonroad.com/
以下ちょっと引用...
「New Orleans へやって来た。
Katrinaによって被災した人たちに同情しているわけでも、あのすばらしい 2枚のアルバム『Our New Orleans』『 Sing Me Back Home』が影響しているわけでもない。ただ流されるままに来てしまった感じ・・・もちろん、 New Orleans Jazz Festを観に来たわけだけども、このフェスティヴァルはそれほど興味があったわけではない。」
じゃあ、いいかげんな記事書くなつっぅの。少なくとも僕が今回ジャズフェスで会った多くの人は、ニューオーリンズに強い愛情を持っている人ばかりでした。そういう人に書いて欲しい。
「ヴェンダーの出店数があまりに多いことに驚いている。(中略)ミュージック・フェスティヴァルの粋(そんなものがあるのか?)を脱している。」
だってただのミュージック・フェスじゃないもん。ヘリテッジの部分はこの人の頭にはないのでしょう。音楽にしても、この人の観ているものはいわゆる大物ばかりの様子。フェイドードーで、ザディコをやってるなんていうのも、目には入ってないでしょうね。ホントにただのロック・フェスと同列で考えたら、大間違いだと思うんですが。
言い出すときりがないけど、とにかく酷いの一言。これが新聞記者ならいざしらず、音楽評論家という肩書きでこんなとんちんかんな記事を垂れ流されては、ニューオーリンズ・ファン、音楽ファンとして悲しいよ。
自分も朝日に書かせてもらって言うのもなんだけど、こんな人にジャズフェス・レポートを書かせるAERA編集部の責任も大きいと思います。
皆さん、どう思います?僕の過剰反応でしょうか?
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早速読みました。が!この内容はなんだ。人それぞれ意見が違うのは当然ですが、しかしこの否定的なトーンはいただけない。全く、ニューオーリンズに対してもジャズフェスに対しても愛情のかけらも感じられない。復興が進まない現実を挙げるのはいいけど、と言って復興を呼びかけるでもなし、復興に一所懸命取り組んでいる人たちの姿を描き出すでもなし。ただ、ネガティブなだけ。
ジャズフェスもあたかも失敗だったと言わんばかりの書き方で、これじゃ逆境の中でフェスを実現させた関係者も浮かばれないよ。「観客が例年より2〜3割少ない」との「広報担当者」のコメントが書いてあるけど、それが具体的に誰なのか判らない。公式な動員数の発表がないから断定はできないけど、少なくともプロデューサーのクイント・デイヴィスが「例年より客の出足はいい」と胸をはっていたのは、地元紙やテレビでも報道されていたはず。そういうことには触れていない。ジャズフェス4回目だった僕が観ても、客入りは決して悪いようには見えませんでした。感覚としては2年前のより多いくらいでしたよ。
ニューオーリンズやジャズフェスに対してあまりにも無理解。というか、理解しようとしていないのが文章から伝わって来る。恐らくこの人は、フレンチクオーターとジャズフェス会場周辺以外は殆ど行ってないんでしょう。だって、内容を読んでいると「ニューオーリンズ=フレンチクオーター」なんだもん。
被災の説明をするのに、フレンチクオーターにあった廃屋の写真を出してきて、「修復された家屋も多いが、廃屋となったものも残る」なんてキャプションがついてる。フレンチクオーターが比較的被害の少ない地域だったのは周知の事実。しかも、最大の被害を被った第9地区やレイクビュー地区のことなど一言も触れていない。
「フレンチクオーターは、通常ジャズフェス期間中は人で溢れるのに、今年は人影も疎ら」なんて書いてあった。閉まったままの店が依然多いという現実はあったけど、フェス期間中はかなり混雑していたと思います。ある程度は「個人の印象の差」との説明もつくけど「人影は疎ら」とまで言うとこれは嘘と言っていいんじゃないでしょうか。もちろん、時間帯にもよるけどね。
あまりにも「なんじゃこれ?」な記事に、この北村っていう人はどういう人なのかと(最初北中正和氏と勘違いしてしまいました。失礼。)、ウェブで調べたら、彼のブログがありました。これを読むと益々彼のニューオーリンズに対する無理解ぶりが判ります。ほんとに何なのこの人?
http://www.rollonroad.com/
以下ちょっと引用...
「New Orleans へやって来た。
Katrinaによって被災した人たちに同情しているわけでも、あのすばらしい 2枚のアルバム『Our New Orleans』『 Sing Me Back Home』が影響しているわけでもない。ただ流されるままに来てしまった感じ・・・もちろん、 New Orleans Jazz Festを観に来たわけだけども、このフェスティヴァルはそれほど興味があったわけではない。」
じゃあ、いいかげんな記事書くなつっぅの。少なくとも僕が今回ジャズフェスで会った多くの人は、ニューオーリンズに強い愛情を持っている人ばかりでした。そういう人に書いて欲しい。
「ヴェンダーの出店数があまりに多いことに驚いている。(中略)ミュージック・フェスティヴァルの粋(そんなものがあるのか?)を脱している。」
だってただのミュージック・フェスじゃないもん。ヘリテッジの部分はこの人の頭にはないのでしょう。音楽にしても、この人の観ているものはいわゆる大物ばかりの様子。フェイドードーで、ザディコをやってるなんていうのも、目には入ってないでしょうね。ホントにただのロック・フェスと同列で考えたら、大間違いだと思うんですが。
言い出すときりがないけど、とにかく酷いの一言。これが新聞記者ならいざしらず、音楽評論家という肩書きでこんなとんちんかんな記事を垂れ流されては、ニューオーリンズ・ファン、音楽ファンとして悲しいよ。
自分も朝日に書かせてもらって言うのもなんだけど、こんな人にジャズフェス・レポートを書かせるAERA編集部の責任も大きいと思います。
皆さん、どう思います?僕の過剰反応でしょうか?
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2006/6/11
ジェイムズ・コットン@コットン・クラブ ブルース

観てきました。ジェイムズ・コットン。(6/9の2部)会場がコットン・クラブっていうのもギャグっぽいけど、なかなかいいライブでしたよ。バンドはデイヴィッド・マックスウェル(p)、ダリル・ニューリッシュ(vo)という以前からお馴染みのメンバーにチャールズ(b)&マーク(ds)マックのリズム・セクション、それに今回はココ・テイラーのバンドで活躍中のShunこと菊田俊介(gt.)が特別参加しました。

9:30pm。予定時刻通りに、コットンとニューリッシュを抜いたバンドの演奏でスタート。金曜の夜とあって、いつの間に客席はほぼ満席。マックスウェル、Shun、チャールズ・マック、各々をフィーチャーした曲をそれぞれ1曲ずつ披露。マックは"Mustang Sally"で客席にコーラスを求め、コットンが出てくる前に会場はすでに盛り上がっている。
そして、ライブ開始後30分。アップテンポのブギに乗せて、コットンがハープを吹きながら登場!マイクのコードを引きずりながら、ステージへ。コットンは、歌えなくなって久しいが、プレイは思った以上にまだまだ活きがいい!表情も豊かに手を顔面に打ち付けるように吹く様も全く昔と変わっていない。まるで、顔全体で吹いているようだ。そんな彼の姿に、客席も大いに盛り上がる。コットンとShunのユニゾン・プレイもなかなかいい感じ。Shunは、それまでの洗練されたプレイから、コットンにあわせたコテコテなプレイに変わっている。コットンも彼の参加に満足しているようで、Shunにソロを振っては嬉しそうに見つめる姿が印象的だった。コットンは表情が豊かなので、声には出さなくても、心の中が手に取るように判るんだよね。
3曲目から、ニューリッシュが登場し、歌入りで"Blow Wind Blow"、"Don't Start Me To Talking"などお馴染みのナンバーで大いに盛り上がった。スローのサニーボーイナンバー"Keep Your Hands Out of My Pocket"も渋い!ハイトーンでぴいぴい吹くプレイがしびれるぅー。
コットン登場後30分ほど経った頃、彼はステージをニューリッシュに譲って一端退場。ニューリッシュは、2曲披露。1曲は"I Smell Trouble"で、あと1曲は何だったか忘れたが、その曲ではハープも吹いた。個人的には彼のファンなので、彼のハープが聴けたのは、嬉しかった。彼はソロ作ではソウル系の曲でヴォーカリストとして本領を発揮しているので、そういう曲も聴きたいところだが、コットンのステージは無理だろうな。もし、ニューリッシュのソロを聴いたことのない人は騙されたと思って一度聴いてみて!ソウル好きなブルース・ファンならば、結構気に入ると思う。ステージ終了後、彼を会場内で見つけたので、声をかけて「あなたのファンです」って言っておいた。
再び、コットンが戻ってきて、アップテンポで畳み掛け、ラストは客席も本当に熱くなっていた。熱気そのままでアンコールに突入し、"Rocket 88"と"You Don't Have To Go"の2曲をプレイ。後者では、Shunがスライドでエルモア・ジェイムズの決めのフレーズを弾き出し、コットンがユニゾンしたところで、客席もまた盛り上がる。ちょうど、90分ほどでライブは終了した。
コットンがステージにいたのは正味50分くらいと短かかったが、バンドの演奏もよかったし、何よりもコットンが歳を取ってそれなりに老けながらも、生き生きとしたプレイをしていたことに感動した。やはり、コットンさん、あなたは最高です。ハープがうまいかどうか以前に存在感があるんだよね。歌わなくても、これだけオーラが出ているっていうのも、やはり彼が健在だってことだろうね。

今回は、久しぶりに菊田さんと話すことができた。実は先日ニューオリンズのジャズフェスのココ・テイラーのライブで彼を観てはいたのだが、そのときは声をかけられなかったのだ。なので、会って話すのは結構久しぶりかな?オリジナル・ピックを頂きました。菊田さん、ありがとね。
ココwith Shunのライブを日本でも見てみたいものだが、菊田さんによるとココは体調があまりよくないので、日本までの長旅は医者がOKしないらしい。残念ですね。
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2006/6/9
朝日の記事 音楽全般
7日の朝日新聞朝刊の国際面に「戻る白人 戻れぬ黒人」と題して、再びハリケーン・シーズンを迎えたニューオリンズでの復興の問題点を指摘した記事が載っていました。

ニューオリンズの下第9区の壊れた家(2006/5/4, sumori撮影)
日本では忘れられつつあるカトリーナの被害について、こういう記事が出ること自体嬉しいことです。シリル・ネヴィルの「9区がなければニューオーリンズではない」とのコメントも紹介されていました。10月に来日が決まったシリル。日本でもニューオリンズの現状を是非訴えてほしい。
同じく朝日。8日の夕刊に高橋健太郎氏によるアラン・トゥーサンの来日公演レポートが掲載されていました。彼は二部を見たようですが、その楽しさが伝わってくるレポートでした。
そうそう、7日夜は音楽仲間数人で渋谷で飲んでいましたが、帰り際に渋谷駅前のツタヤの大きなスクリーンに中島美嘉の新曲のプロモビデオが流れているのを見ました。あんな大写しで、アラン・トゥーサンとシリルも映ってましたよ。中島美嘉の影響力もすごいなぁ。
8日夜はBSハイビジョンでニューオリンズのドキュメンタリーをやっていたようですが、ハイビジョンが見れない僕はなんだよーとふてくされています。総合で再放送希望。
明日、10日は、ミュージックフェア21でトゥーサン、コステロ&中島ですね。忘れずに録っとこっと。

ピアノ・ナイトでプレイするアラン・トゥーサン(2004年, sumori撮影)
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ニューオリンズの下第9区の壊れた家(2006/5/4, sumori撮影)
日本では忘れられつつあるカトリーナの被害について、こういう記事が出ること自体嬉しいことです。シリル・ネヴィルの「9区がなければニューオーリンズではない」とのコメントも紹介されていました。10月に来日が決まったシリル。日本でもニューオリンズの現状を是非訴えてほしい。
同じく朝日。8日の夕刊に高橋健太郎氏によるアラン・トゥーサンの来日公演レポートが掲載されていました。彼は二部を見たようですが、その楽しさが伝わってくるレポートでした。
そうそう、7日夜は音楽仲間数人で渋谷で飲んでいましたが、帰り際に渋谷駅前のツタヤの大きなスクリーンに中島美嘉の新曲のプロモビデオが流れているのを見ました。あんな大写しで、アラン・トゥーサンとシリルも映ってましたよ。中島美嘉の影響力もすごいなぁ。
8日夜はBSハイビジョンでニューオリンズのドキュメンタリーをやっていたようですが、ハイビジョンが見れない僕はなんだよーとふてくされています。総合で再放送希望。
明日、10日は、ミュージックフェア21でトゥーサン、コステロ&中島ですね。忘れずに録っとこっと。

ピアノ・ナイトでプレイするアラン・トゥーサン(2004年, sumori撮影)
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2006/6/5
盗作
アルベルト・スギ氏の盗作で世間を騒がせている和田義彦氏がようやく自ら盗作を認めたそうです。僕は、美術に関して無知なので、正直スギも和田も初めて聞く名前でしたが、これは盗作以外の何ものでもないですよね。当初、「描き方の手法がまるで違う」などと言って盗作の疑いを否定している和田氏をテレビでみて、その開き直りに怒りすら覚えました。逃げられないと観念して、一転認めたってことかな。
構図を拝借しても、描画手法が違えば盗作にならないのであれば、音楽で言えば、人の曲をぱくって、アレンジや使用楽器を変えればオリジナル作品として通ってしまうというのと同じ理論ですよ。そんなバカな話しがあるかっつぅーの。
他人の素材を使う手法は他の画家もやっていると彼は言っていましたが、そういう場合はオリジナル素材をクレジットするもんなのでは?クレジットした上で、初めてそのアーティストの付加価値が評価されるっつぅものでしょ。ラッパーだって、サンプリング音源はクレジットしてロイヤルティーを払ってるではないですか。この人は、しかも恩師から無断で盗んで、自らの作品であるかのようにふるまっていたってわけでしょ?ひどいはなしですよね。
この人アートをバカにしてるんじゃない?
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構図を拝借しても、描画手法が違えば盗作にならないのであれば、音楽で言えば、人の曲をぱくって、アレンジや使用楽器を変えればオリジナル作品として通ってしまうというのと同じ理論ですよ。そんなバカな話しがあるかっつぅーの。
他人の素材を使う手法は他の画家もやっていると彼は言っていましたが、そういう場合はオリジナル素材をクレジットするもんなのでは?クレジットした上で、初めてそのアーティストの付加価値が評価されるっつぅものでしょ。ラッパーだって、サンプリング音源はクレジットしてロイヤルティーを払ってるではないですか。この人は、しかも恩師から無断で盗んで、自らの作品であるかのようにふるまっていたってわけでしょ?ひどいはなしですよね。
この人アートをバカにしてるんじゃない?
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2006/6/5
土曜日はピクニック 個人ニュース
友人数名と昭和記念公園に遊びに行きました。天気が心配だったけど、雨は降らず、曇りだったので暑くもなく、いい日和でした。
この公園は秋のコスモスが有名ですが、今回はポピーが咲き誇っていました。きれいだった。

ニューオリンズで買ってきた地ビール、アビータ・アンバーを持っていって飲みました。うまかったなぁ。12本パックを重いおもいして持って帰った甲斐があった。

今回の収穫は、公園の売店でした。(みんなの原っぱの売店)公園は何度も行ったことがありますが、売店はあまり注意してみたことはなかったのですが、ここでは公園オリジナルの地ビールが売られていて、これが美味だったんです。思わずお土産に3本も買ってしまいました。
また、ソフトクリームが充実していて、なんとフレーバーが12種類!全部試したくなるぅー。柚子ビール味が何とも美味でした。昭和記念公園にお出かけの際には是非お試しを!

夜は、広島から出てきているニューオリンズ仲間のマッカチンさんに急遽お呼ばれして、曙橋のMambo Barで飲みました。ニューオリンズ仲間がいっぱい集結していましたが、時間があまりなかったのが残念。みなさん、また飲みましょう!
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この公園は秋のコスモスが有名ですが、今回はポピーが咲き誇っていました。きれいだった。

ニューオリンズで買ってきた地ビール、アビータ・アンバーを持っていって飲みました。うまかったなぁ。12本パックを重いおもいして持って帰った甲斐があった。

今回の収穫は、公園の売店でした。(みんなの原っぱの売店)公園は何度も行ったことがありますが、売店はあまり注意してみたことはなかったのですが、ここでは公園オリジナルの地ビールが売られていて、これが美味だったんです。思わずお土産に3本も買ってしまいました。
また、ソフトクリームが充実していて、なんとフレーバーが12種類!全部試したくなるぅー。柚子ビール味が何とも美味でした。昭和記念公園にお出かけの際には是非お試しを!

夜は、広島から出てきているニューオリンズ仲間のマッカチンさんに急遽お呼ばれして、曙橋のMambo Barで飲みました。ニューオリンズ仲間がいっぱい集結していましたが、時間があまりなかったのが残念。みなさん、また飲みましょう!
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2006/6/2
アラン・トゥーサン見てきました! ニューオーリンズ

アラン・トゥーサンの原宿Blue Jay Way公演に行ってきました。今回の来日は新作プロモのために組まれたもので、もともと公演予定はなかったそうですが、本人の希望により急遽実現した一夜限りのショーでした。前回の来日公演が1994年ですから、本当に久しぶりです。告知も満足に行われなかったにも関わらず、各回140枚ずつ用意されたチケットは発売から5日で完売したそうです。小さい会場でしたので、当日券も一切でませんでした。
公演は1部、2部があり、僕は1部の方に。2部には、エルヴィス・コステロが飛び入りしたそうですが、1部はサプライズはなし。トゥーサンのピアノの弾き語りで通した約70分。バンドでの演奏と違い、彼のピアノの技と味をじっくり堪能することができました。プレイの表情が豊かで、ひとりでニューオリンズの空気を丸ごと運んできたかのような空気を醸し出していたのはさすがトゥーサンです。ノリノリなニューオリンズR&Bを演ったかと思えば、クラシックっぽい美しいメロディーも飛び出し、まるでピアノを使って色鮮やかなタペストリーを織り上げているような、そんな感じのライブでした。
ショーは、10分遅れでスタート。トゥーサンは青いストライプのスーツで登場しました。びしっと決めていましたが、やはり履いているのはサンダル。これが彼流スタイルなのでしょうね。
ステージ中央に置かれたグランドに向かいインストでウォームアップしたあと、"Certain Girl"へ。これはR&Bメドレーになっていました。先日ジャズフェスで見たときと同じ曲順のメドレーです。続いて出たー!の"Brickyard Blues"。これいい曲ですよね。"All These Things"などのバラードもじっくり聴かせました。染みるぅー!通常のバンドではあまりやらなさそうな曲も多く、お宝ライブだったと言えるでしょう。
1曲、1曲その曲を誰のために書いたかなど、丁寧な解説をしながら歌うトゥーサン。ライブ最初の方で「英語が判る人はどれくらいいるの?」と客席に問いかけ、手がまばらにしか挙がってないのを見て「これは大変だ!」とおどけてみせるなど、終始リラックス・ムード。彼が東京をきれいな街だと絶賛した際には客席からの反応が少なかったのをみて、「誰か、今のを翻訳して!」笑顔で一言。
"Fortune Teller"の説明では、「これはもともとベニー・スペルマンが歌った曲ですが、ローリング・ストーンズが取り上げて、有名になりました。それは、もうすごいヒットでした。」と解説。「それでも、ライターは私です(笑)」と茶目っ気たっぷりの笑いを見せました。
面白かったは、"Mother In Law"の解説。「歌手はアーニー・ケイドーですが、低音のパートを歌ったのはベニー・スペルマンです。ベニーはあの曲がヒットしたあと、『あれは俺が歌ったからヒットしたんだ』と主張しました。私も彼の主張を信じるようになりました。というのもヒットのあと、彼は豪華な緑色のキャデラックを乗り回すようになりましたから。(笑)ヒットしたのは、ベニーが歌ったから?それともアーニーが歌ったから?いずれにせよ、ライターが誰だったかは無関係のようですけどね。(笑)」
「今度は、そんなベニーの低音ボーカルをフィーチャーした、この曲を彼のために書きました」と言ってやってくれたのが、"Lipstick Traces"。この曲、すごく好きなんです。ほろ苦くほのぼのとした曲調に会場が暖かい雰囲気に包まれました。
新作では"Ascension Day"としてコステロが歌った"Tipitina & Me"("Tipitina"のマイナー調バージョン)は、プロフェッサー・ロングヘアへのトリビュート・メドレーとなっていました。"Tipitina"のオリジナルメジャー調も出てきたし、"Big Chief"も変奏曲的にプレイされ、マイナー調にもなっていました。
アンコールは2曲。照明つきBGMが流れ始める中、鳴り止まない歓声と拍手に応えてやってくれました。これは、予定外だったのかも知れません。新作DVDで聴かせたコステロとのデュエットも印象的だった"What Do You Want The Girl To Do?"、それにワーナー時代の"Soul Sister"。どちらも嬉しい選曲でした。
会場でユニバーサルの方とお話ししましたが、やはり今回のプロモの効果で再来日を実現させたいと考えているそうです。エルヴィス・コステロや中島美嘉のファン層からも、あらたにトゥーサン・ファンが生まれることでしょうし、今回のプロモはメディアからかなり注目を集めているようなので、再来日は遠からずあるんではないでしょうか。期待しましょう!

掲載のセットリストは、ユニバーサルの方から頂いたものですが、実際にやった曲はかなり違っていました。一人でやっているので、曲目は何とでも変更が効くんでしょうね。ライブ終了時に、トゥーサンは自分の見ていたセットリストを最前列の人にあげていましたが、それには手書きで修正が加わっていたようにみえました。
以下僕がメモったセットリストです。
All of It
Whipped Cream
Medley: Certain Girl - Mother In Law
- Fortune Teller - Working In A Coal Mine
- Certain Girl
Brickyard Blues
All These Things
I'm Gone
Tipitina & Me & Fess Tribute
(Tipitina, Bald Head, Big Chief)
Shoo-Ra
Lipstick Traces
With You In Mind
Southern Nights
Do The Do
Instrumental (Boogie Woogie)
-encore-
What Do You Want A Girl To Do?
Soul Sister
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2006/6/1
コステロ&トゥーサン・プロモ・イベント ニューオーリンズ
コステロ&トゥーサンのプロモイベントにお誘いを頂いたので行ってきました。
2006年5月31日、会場は品川区の品川教会グローリア・チャペル。

プレス用の記者会見中心のイベントだと思っていましたが、実際に行ってみると、大半の時間は生演奏でした。コステロ&トゥーサンのイベントにスペシャル・ゲストとして中島美嘉が加わる形で、それぞれの生演奏が聴けました。
まず、司会のピーター・バラカン氏が趣旨説明などを行った上で、アーティストを紹介。続いてスペシャル・ゲストの中島美嘉がニューオリンズに捧げたチャリティー・シングルの曲を2曲とも歌いました。"All Hands Together"ではバックにバンドと20人編成のコーラス隊が。もちろんピアノはトゥーサンです。彼のピアノは120%ニューオリンズしていました。全体としてもセカンド・ライン・リズムのクラッピングが印象的な迫力のある演奏で、中島の声も線は細かったけど、天井へ突き抜けていくような高揚感がありました。一方もう一曲の"What A Wonderful World"では、中島がしっとりと歌い上げ、トゥーサンのピアノが美しかったです。
続いてコステロ&トゥーサン。彼らはデュオ形式で、アンコールまで含め、50分近くやりました。もう最高でした。教会という落ち着いた会場で聞いているのは業界関係者。そういうセッティングでもコステロは、いきなり初っぱなから、客席に降りてきてコーラスを求めるなど、テンション揚がってました。声がよく通っていたなぁ。
殆どの曲はコステロが歌い、曲間の解説も彼がしていましたが、"What Do You Want A Girl To Do?"では、2人が交互に歌い、コーラス・ワークを聴かせるなど、競演らしい一面も。素晴らしい出来なのに、なぜCDにいれなかったんだろうと思いました。(ボーナスDVDのみの収録)
一度ライブコーナーを終え、インタビューコーナーに移りましたが、その後で司会のピーター・バラカン氏の「アンコールやってくれない?」との要請に、コステロの「もちろん!」で、立て続けに3曲。仕込んであったのでしょうが、いい流れでした。最後は、トゥーサンのヴォーカルで"Yes We Can"。コステロは客席に立つように促し、総立ちに。盛り上がった中、90分のイベントが終わりました。
このイベントの模様は公式カメラが入っていたので、6月1日以降、メディアで報道されることと思います。まずは1日朝のめざましテレビでレポートがあるようです。ここに掲載した写真も公式カメラマンによるものです。これでメディアへの露出が増え、コステロ&トゥーサン、あるいはトゥーサン単独としてのツアーで再来日を望みたいところです。関係者の方々もそこも視野に入れているのでしょうね。

しかし、これだけの濃い内容のイベント。一般公開でなかったのはとても残念でした。そのまま丸ごとDVDにして出してほしいくらいいい内容でした。バラカン氏も興奮気味に見えました。1日のトゥーサン公演、2日のコステロの公演にも期待していいと思いますよ。
中島美嘉は初めてみましたが、想像していたより、ずっと控えめでおとなしそうな感じの女性でした。歌い出しても、あまりそういう印象は変わりませんでした。もっとパワフルな感じの人かな、と思ってましたが。
この日、会場の受付はコステロ&トゥーサンのユニバーサルと中島のソニーに分かれていましたが、ソニーの方が混んでいるようでした。中島の人気はすごいですね。その人気に乗って、トゥーサンやニューオリンズに注目が集まるのであれば、嬉しいことだなと思いました。
■セットリスト
●中島美嘉 (with band including Allen Toussaint on piano)
All Hands Together (with 20 piece choir)
What A Wonderful World
●Elvis Costello & Allen Toussaint (duo without band)
Sharpest Thorn
Freedom For The Stallion
What Do You Want A Girl To Do? (Costello & Toussaint-duet)
The River In Reverse (Costello with acoustic gt.)
Ascention Day
Who's Gonna Help Brother Get Further? (Toussaint-lead vo.)
Nearer To You
Wonder Woman
-encore-
International Echo
Greatest Love
Yes We Can (Toussaint-lead vo.)
●インタビュー・コーナー
メモを元に起こしましたので、細かいところは正確ではないかも知れませんが、あしからず。
◆アラン・トゥーサンのことは以前から知っていたのか?
中島美嘉「とても前からというわけではないですが、色々聴かせてもらっていました。」
◆チャリティー・シングル「All Hands Together」をリリースすることになったいきさつについて。
中島「ニューオリンズの(ハリケーン被害)のことを読み聞きし、私も何か出来ることはないかと思いました。スタッフと相談し、チャリティー・シングルを出すことに決めました。そして、ニューオリンズと言えばアラン・トゥーサンということで、『まさか引き受けてくれないだろうなぁ』と思いつつ、ダメもとで、参加依頼をしました。引き受けて頂き嬉しく思っています。」
アラン・トゥーサン「彼女のことを知っていたわけではないですが、数曲のサンプルを送ってもらい、彼女の歌声と音楽のスピリットが気に入りました。だから、参加を決めたのです。」
◆「The River In Reverse」を作ることになったいきさつについて。
エルヴィス・コステロ「9月のある1週間に一連のベネフィット・コンサートに出演しました。僕が最初に出演したコンサートで"Freedom For The Stallion"を演奏したんです。3回目のコンサートでトゥーサンと一緒になり、今度は彼と一緒にまたこの曲をやろうということになりました。カトリーナの直後に、この曲の歌詞に打ちのめされた思いがしたんです。この競演から、アルバム制作の話しが始まりました。」
「最初は、僕は『アラン・トゥーサン・ソング・ブック』を作りたいと思っていました。でも、それをやろうとすると入れるべき曲が多くなりすぎて、1枚のCDにはとても収まり切らない。6、7枚のボックスになっちゃう。(笑)実際にやったけど収録されなかった曲もありました。最終的には、オリジナル曲も混ぜてアルバムを作る方向に落ち着きました。この一連のライブのとき、僕は"The River In Reverse"を書いたんです。」
「僕らが最初に一緒に書いた曲は、"Ascension Day"でした。最初は、僕らはお互い遠慮しあっていました。『Mr.コステロ、お先にどうぞ』、『いやいや、ムッシュ・トゥーサン、あなたこそどうぞ』そんな感じで、とてもかしこまってなかなか2人ともピアノに触ろうとしなかったんです。でも、一度やり始めたら、その後は順調でした。」
◆今回のアルバムは、プロデューサーにジョー・ヘンリーを迎えていますが、同じプロデューサーとして彼が「運転席に座る」ことについてはどのようにお感じですか?
トゥーサン「彼は素晴らしい『ドライバー』なんです。ミュージシャンとしては客観的に見ることが出来る人ですし、音楽に対する情熱を持っています。人柄も素晴らしいんです。」
◆お二人の競演は今回が初めてではないですよね?
コステロ「僕は、1983年のオノ・ヨーコのトリビュート・アルバムに参加したんですが、そのときアランがプロデュースをしたんです。なので、彼とは古い付き合いです。でも、ジョー・ヘンリーは僕にとって今回が初でした。そこで、僕を悩ませたのは、今回のプロデューサーは誰にお願いしようかということでした。果たして、ジョーにすべきか、はたまたオノ・ヨーコに頼むべきかと。(爆笑)」
「そのあと、1988年に(僕の)アルバム『SPIKE』でアランとダーティー・ダズン・ブラス・バンドを迎えて、"Deep Dark Truthful Mirror"をニューオリンズのシーセイント・スタジオでレコーディングしたんです。」
◆アランは、カトリーナで自宅もシーセイント・スタジオも大きな被害を受けたと聞いています。にも関わらず、とてもポジティブな発言をされていますよね。
トゥーサン「カトリーナに関して、その悲惨さばかりが伝えられていますが、見方を変えれば、そのおかげで世界からミュージシャンが集まって来て、新たなコラボレーションが生まれています。そういう意味では、カトリーナは偉大なブッキング・エージェントと言うこともできます。私はポジティブなスタンスを取るようにしています。現状を嘆いてばかりいてもどうにもならない。それよりは、今何ができるか、何をすべきかを考えるようにしているのです。今回のプロジェクトは、そんな中で生まれたものなのです。」
◆"The River In Reverse"(川の逆流)という曲は、単純に川が逆流をしたことを歌ったものではないですよね?
コステロ「もちろん川の氾濫のこともありますが、それだけを歌ったわけではありません。カトリーナのあとの連邦政府の人間味にかける対応、またその遅さなど、これは人災であると考えています。そういう状況を作ってしまった、今の社会の流れを変えなければならないという思いを込めています。」
◆今回は、リー・ドーシーが歌ったナンバーが多く取り上げられています。アラン、あなたがリー・ドーシーに曲を多く提供したのは、それらの曲を自分で歌う自信がなかったから彼に歌ってもらいたかったのだというような発言をどこかで読んだ記憶があるのですが、それは本当なのですか?
トゥーサン「いや、それは違いますね。私がリー・ドーシーに提供した曲は、彼のために書いた曲なのです。彼がもしこの世にいなかったら、これらの曲は恐らく生まれなかったでしょう。他のアーティストに提供した曲についても同じです。その人、そのときの状況に応じて曲を書いているので、私が歌うことを念頭に置いていたわけではないのです。」
◆それを聞いて安心しました。素晴らしい曲が生まれるきっかけになったドーシーに感謝したいと思います。
■リリース情報■
エルヴィス・コステロ&アラン・トゥーサン/ザ・リヴァー・イン・リヴァース(ユニバーサル UCCB-9011)
2006年5月27日発売
中島美嘉 がんばれ、ニューオーリンズ チャリティー・シングル
「All Hands Togther c/w What A Wonderful World」 (ソニーミュージック AICL-1745)
with Allen Toussaint, Cyril Neville and Memphis Horns
Produced by Dr. kyOn
2006年6月7日発売
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2006年5月31日、会場は品川区の品川教会グローリア・チャペル。

プレス用の記者会見中心のイベントだと思っていましたが、実際に行ってみると、大半の時間は生演奏でした。コステロ&トゥーサンのイベントにスペシャル・ゲストとして中島美嘉が加わる形で、それぞれの生演奏が聴けました。
まず、司会のピーター・バラカン氏が趣旨説明などを行った上で、アーティストを紹介。続いてスペシャル・ゲストの中島美嘉がニューオリンズに捧げたチャリティー・シングルの曲を2曲とも歌いました。"All Hands Together"ではバックにバンドと20人編成のコーラス隊が。もちろんピアノはトゥーサンです。彼のピアノは120%ニューオリンズしていました。全体としてもセカンド・ライン・リズムのクラッピングが印象的な迫力のある演奏で、中島の声も線は細かったけど、天井へ突き抜けていくような高揚感がありました。一方もう一曲の"What A Wonderful World"では、中島がしっとりと歌い上げ、トゥーサンのピアノが美しかったです。
続いてコステロ&トゥーサン。彼らはデュオ形式で、アンコールまで含め、50分近くやりました。もう最高でした。教会という落ち着いた会場で聞いているのは業界関係者。そういうセッティングでもコステロは、いきなり初っぱなから、客席に降りてきてコーラスを求めるなど、テンション揚がってました。声がよく通っていたなぁ。
殆どの曲はコステロが歌い、曲間の解説も彼がしていましたが、"What Do You Want A Girl To Do?"では、2人が交互に歌い、コーラス・ワークを聴かせるなど、競演らしい一面も。素晴らしい出来なのに、なぜCDにいれなかったんだろうと思いました。(ボーナスDVDのみの収録)
一度ライブコーナーを終え、インタビューコーナーに移りましたが、その後で司会のピーター・バラカン氏の「アンコールやってくれない?」との要請に、コステロの「もちろん!」で、立て続けに3曲。仕込んであったのでしょうが、いい流れでした。最後は、トゥーサンのヴォーカルで"Yes We Can"。コステロは客席に立つように促し、総立ちに。盛り上がった中、90分のイベントが終わりました。
このイベントの模様は公式カメラが入っていたので、6月1日以降、メディアで報道されることと思います。まずは1日朝のめざましテレビでレポートがあるようです。ここに掲載した写真も公式カメラマンによるものです。これでメディアへの露出が増え、コステロ&トゥーサン、あるいはトゥーサン単独としてのツアーで再来日を望みたいところです。関係者の方々もそこも視野に入れているのでしょうね。

しかし、これだけの濃い内容のイベント。一般公開でなかったのはとても残念でした。そのまま丸ごとDVDにして出してほしいくらいいい内容でした。バラカン氏も興奮気味に見えました。1日のトゥーサン公演、2日のコステロの公演にも期待していいと思いますよ。
中島美嘉は初めてみましたが、想像していたより、ずっと控えめでおとなしそうな感じの女性でした。歌い出しても、あまりそういう印象は変わりませんでした。もっとパワフルな感じの人かな、と思ってましたが。
この日、会場の受付はコステロ&トゥーサンのユニバーサルと中島のソニーに分かれていましたが、ソニーの方が混んでいるようでした。中島の人気はすごいですね。その人気に乗って、トゥーサンやニューオリンズに注目が集まるのであれば、嬉しいことだなと思いました。
■セットリスト
●中島美嘉 (with band including Allen Toussaint on piano)
All Hands Together (with 20 piece choir)
What A Wonderful World
●Elvis Costello & Allen Toussaint (duo without band)
Sharpest Thorn
Freedom For The Stallion
What Do You Want A Girl To Do? (Costello & Toussaint-duet)
The River In Reverse (Costello with acoustic gt.)
Ascention Day
Who's Gonna Help Brother Get Further? (Toussaint-lead vo.)
Nearer To You
Wonder Woman
-encore-
International Echo
Greatest Love
Yes We Can (Toussaint-lead vo.)
●インタビュー・コーナー
メモを元に起こしましたので、細かいところは正確ではないかも知れませんが、あしからず。
◆アラン・トゥーサンのことは以前から知っていたのか?
中島美嘉「とても前からというわけではないですが、色々聴かせてもらっていました。」
◆チャリティー・シングル「All Hands Together」をリリースすることになったいきさつについて。
中島「ニューオリンズの(ハリケーン被害)のことを読み聞きし、私も何か出来ることはないかと思いました。スタッフと相談し、チャリティー・シングルを出すことに決めました。そして、ニューオリンズと言えばアラン・トゥーサンということで、『まさか引き受けてくれないだろうなぁ』と思いつつ、ダメもとで、参加依頼をしました。引き受けて頂き嬉しく思っています。」
アラン・トゥーサン「彼女のことを知っていたわけではないですが、数曲のサンプルを送ってもらい、彼女の歌声と音楽のスピリットが気に入りました。だから、参加を決めたのです。」
◆「The River In Reverse」を作ることになったいきさつについて。
エルヴィス・コステロ「9月のある1週間に一連のベネフィット・コンサートに出演しました。僕が最初に出演したコンサートで"Freedom For The Stallion"を演奏したんです。3回目のコンサートでトゥーサンと一緒になり、今度は彼と一緒にまたこの曲をやろうということになりました。カトリーナの直後に、この曲の歌詞に打ちのめされた思いがしたんです。この競演から、アルバム制作の話しが始まりました。」
「最初は、僕は『アラン・トゥーサン・ソング・ブック』を作りたいと思っていました。でも、それをやろうとすると入れるべき曲が多くなりすぎて、1枚のCDにはとても収まり切らない。6、7枚のボックスになっちゃう。(笑)実際にやったけど収録されなかった曲もありました。最終的には、オリジナル曲も混ぜてアルバムを作る方向に落ち着きました。この一連のライブのとき、僕は"The River In Reverse"を書いたんです。」
「僕らが最初に一緒に書いた曲は、"Ascension Day"でした。最初は、僕らはお互い遠慮しあっていました。『Mr.コステロ、お先にどうぞ』、『いやいや、ムッシュ・トゥーサン、あなたこそどうぞ』そんな感じで、とてもかしこまってなかなか2人ともピアノに触ろうとしなかったんです。でも、一度やり始めたら、その後は順調でした。」
◆今回のアルバムは、プロデューサーにジョー・ヘンリーを迎えていますが、同じプロデューサーとして彼が「運転席に座る」ことについてはどのようにお感じですか?
トゥーサン「彼は素晴らしい『ドライバー』なんです。ミュージシャンとしては客観的に見ることが出来る人ですし、音楽に対する情熱を持っています。人柄も素晴らしいんです。」
◆お二人の競演は今回が初めてではないですよね?
コステロ「僕は、1983年のオノ・ヨーコのトリビュート・アルバムに参加したんですが、そのときアランがプロデュースをしたんです。なので、彼とは古い付き合いです。でも、ジョー・ヘンリーは僕にとって今回が初でした。そこで、僕を悩ませたのは、今回のプロデューサーは誰にお願いしようかということでした。果たして、ジョーにすべきか、はたまたオノ・ヨーコに頼むべきかと。(爆笑)」
「そのあと、1988年に(僕の)アルバム『SPIKE』でアランとダーティー・ダズン・ブラス・バンドを迎えて、"Deep Dark Truthful Mirror"をニューオリンズのシーセイント・スタジオでレコーディングしたんです。」
◆アランは、カトリーナで自宅もシーセイント・スタジオも大きな被害を受けたと聞いています。にも関わらず、とてもポジティブな発言をされていますよね。
トゥーサン「カトリーナに関して、その悲惨さばかりが伝えられていますが、見方を変えれば、そのおかげで世界からミュージシャンが集まって来て、新たなコラボレーションが生まれています。そういう意味では、カトリーナは偉大なブッキング・エージェントと言うこともできます。私はポジティブなスタンスを取るようにしています。現状を嘆いてばかりいてもどうにもならない。それよりは、今何ができるか、何をすべきかを考えるようにしているのです。今回のプロジェクトは、そんな中で生まれたものなのです。」
◆"The River In Reverse"(川の逆流)という曲は、単純に川が逆流をしたことを歌ったものではないですよね?
コステロ「もちろん川の氾濫のこともありますが、それだけを歌ったわけではありません。カトリーナのあとの連邦政府の人間味にかける対応、またその遅さなど、これは人災であると考えています。そういう状況を作ってしまった、今の社会の流れを変えなければならないという思いを込めています。」
◆今回は、リー・ドーシーが歌ったナンバーが多く取り上げられています。アラン、あなたがリー・ドーシーに曲を多く提供したのは、それらの曲を自分で歌う自信がなかったから彼に歌ってもらいたかったのだというような発言をどこかで読んだ記憶があるのですが、それは本当なのですか?
トゥーサン「いや、それは違いますね。私がリー・ドーシーに提供した曲は、彼のために書いた曲なのです。彼がもしこの世にいなかったら、これらの曲は恐らく生まれなかったでしょう。他のアーティストに提供した曲についても同じです。その人、そのときの状況に応じて曲を書いているので、私が歌うことを念頭に置いていたわけではないのです。」
◆それを聞いて安心しました。素晴らしい曲が生まれるきっかけになったドーシーに感謝したいと思います。
■リリース情報■
エルヴィス・コステロ&アラン・トゥーサン/ザ・リヴァー・イン・リヴァース(ユニバーサル UCCB-9011)
2006年5月27日発売
中島美嘉 がんばれ、ニューオーリンズ チャリティー・シングル
「All Hands Togther c/w What A Wonderful World」 (ソニーミュージック AICL-1745)
with Allen Toussaint, Cyril Neville and Memphis Horns
Produced by Dr. kyOn
2006年6月7日発売
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2005/9/30
フレンチクオーター復活の第一歩 ニューオーリンズ
報道によると、9月30日からニューオリンズのフレンチクオーターへの店主らへの立入りが許可され、一部店が復活しだしたようです。
ダメージを受けた下水処理場が復活するまでに9ヶ月はかかるとか、インフラ面での復興だけでもまだまだ前途多難ですが、復活に向けて歩みだしているという報道はとても嬉しく思います。
早く観光客を受け入れられるだけの街に戻ってほしいと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050930-00000049-mai-int
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ダメージを受けた下水処理場が復活するまでに9ヶ月はかかるとか、インフラ面での復興だけでもまだまだ前途多難ですが、復活に向けて歩みだしているという報道はとても嬉しく思います。
早く観光客を受け入れられるだけの街に戻ってほしいと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050930-00000049-mai-int
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