2018/12/15

訃報:Jody Williams 1935-2018  ブルース

1950年代のブルース・シーンで活躍したギタリスト、ジョディ・ウィリアムズが12月1日、ガンのためインディアナ州マンスターの養護施設、マンスター・メッド・インにて亡くなりました。83歳でした。主に裏方として活躍した職人的存在でしたが、その独創的なプレイは高い評価を受けています。ボ・ディドリーやハウリン・ウルフと活動をともにし、チェス・レーベルのスタジオ・ミュージシャンとしても多くのレコーディングにそのプレイを刻みました。

オーティス・ラッシュの”All Your Love”がジョディの”Lucky Lou”を下敷きにしているのは有名な話ですし、またミッキー&シルヴィアのヒット曲”Love Is Strange”はビリー・スチュワートの”Billy’s Blues”でジョディがプレイしたリフに歌詞を付けたものでした。ジョディの関わったこれらの曲に共通しているのは、ブルースの枠にとらわれない曲づくりとプレイでしょう。1950年代のレコーディングだと思って聴くと、斬新だなと思います。





ジョディは1960年代に一度引退しましたが、2000年にライター/プロデューサーのディック・シャーマンの勧めもあり、カムバックを果たします。2002年、シャーマンのプロデュースでエヴィデンス・レーベルから単独名義のアルバムとしては初となる「Return Of A Legend」をリリースしました。このアルバムはブルース・ファンの間でもおおむね好意的に受け入れられ、僕も当時Blues & Soul Records誌の座談会企画で、これはすごい!と彼のカムバックを絶賛したのを覚えています。(同誌No. 48「祝来日!幻のギタリスト ジョディ・ウィリアムスが来る!」)



アルバムのリリースを受け、全米各地のフェスティバルを始め、海外ツアーにも積極的に出るようになりました。2002年暮れには初来日も果たし、パークタワー・ブルース・フェスティバルでプレイしました。2004年には2枚目のアルバム「You Left Me In the Dark」をリリース。2013年には、ブルースの殿堂入りも果たしています。

近年は動向が伝わってきていなかったのですが、ガンで闘病中だったようです。

彼が亡くなった2ヶ月前には”All Your Love”のオーティス・ラッシュが亡くなり、また1ヒューバート・サムリンがフィーチャーされた映画「サイドメン」も公開になります。ヒューバートはジョディの後釜としてウルフのバンドに加入し、当初はジョディとダブルギターでプレイしていました。

そんな状況でジョディが亡くなったので、なんだか「俺のことも忘れないで!」とジョディが言っているのでは?そんなことも考えてしまいました。考えすぎかも知れませんが、今一度、ジョディの名演を聴き返すきっかけになればいいですね。
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2018/12/15

映画サイドマン:3人のバイオ  ブルース

映画「サイドマン:スターを輝かせた男たち」でフィーチャーされた3人のブルースメン、彼らを簡単に紹介します。

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Hubert Sumlin ヒューバート・サムリン (guitar, vocals)
1931年ミシシッピ州グリーンウッドに生まれ、1950年代の半ばにハウリン・ウルフのギタリストとなったヒューバートは、ウルフが1976年に他界するまでの20年以上に渡り彼をサポートした。ヒューバートのプレイはしゃっくりのような独特なリズム感と節回しを持った個性的なもので、いわゆるヘタウマの部類に入るが、全盛期は勢いもすごく、ウルフのサウンドにはなくてはならない存在感を示した。ウルフ没後はソロに転じ、来日も2度している。米ローリングストーン誌は「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の43位に彼を選出した。2011年、80歳で他界。2014年の映画「約束の地、メンフィス 〜テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー〜」には彼の晩年のセッションがとらえられている。

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Pinetop Perkins パイントップ・パーキンズ (piano, vocals)
1913年ミシシッピ州ベルゾニに生まれたパーキンズ。本名はジョセフ・ウィリー・パーキンズというが、パイントップ・スミスの”Pine Top’s Boogie Woogie”をレパートリーとしていたことから、”パイントップ”の愛称で親しまれるようになった。元々はギタリストだったが、手の負傷を機にピアノに転向した。アーカンソー州ヘレナでのロバート・ナイトホークとの活動を経て、1950年代後半にシカゴに移住。アール・フッカーとの活動を経験したのち、1969年にオーティス・スパンの後釜としてマディ・ウォーターズのバンドに迎え入れられた。1980年のマディの来日にも同行している。マディのバンドを抜けたあと、ウィリー”ビッグ・アイズ”スミスとともにレジェンダリー・ブルース・バンドを結成。その後、ソロに転じ1911年に97歳で亡くなるまで現役であり続けた。ソロとしては、1998年に来日。パークタワー・ブルース・フェスティバルに出演している。

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Willie “Big Eyes” Smith ウィリー“ビッグ・アイズ”スミス (drums, harmonica, vocals)
1936年アーカンソー州ヘレナ生まれ。キャリアはハーモニカ奏者としてスタートしているが、より需要があると見てドラマーに転向。1960年ごろからマディ・ウォーターズのバンドで活動するようになった。一度脱退したのち再度加入し、1980年までの長きに渡りバンドに在籍した。1980年のマディ来日にも同行している。"Big Eyes"というニックネームは、大きく目を開いてプレイしているのを見たマディが名付けたものだという。マディのバンドを脱退後、パイントップとレジェンダリー・ブルース・バンドを結成した。同バンドの作品の他、ソロ・アルバムも1990年代以降多数リリース。1998年には、モントルー・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパンにシカゴ・ブルース・オールスターズのメンバーとして出演している。2011年にシカゴで脳卒中のため他界。75歳だった。
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