2020/5/24

Betty Wright RIP  R&B/ソウル

ソウル・シンガーのベティ・ライト(Betty Wright)が5月10日、マイアミの自宅にて亡くなりました。66歳でした。僕は知らなかったのですが、昨年秋に子宮内膜ガンが見つかり闘病中だったそうです。今月上旬には親友のチャカ・カーンが彼女のために祈って欲しいとのツイートをしており、病状が悪かったことが窺えます。66歳とは早すぎると思います。



ベティといえば、80年代以降のニューソウルのサウンドにつながっていくマイアミ・ソウルを代表する存在でした。来日公演では暑い日に吹くそよ風のような心地よいサウンドを聴かせてくれたのを覚えています。ウィットニー・ヒューストンに捧げてGreatest Love of All をやったり、グロリア・エステファンのバンドでツアーした際の思い出話しをしたり。元気いっぱいなステージでした。あの超ハイトーンの歌声は凄かった。僕が行った日のセットリストなどの情報を記しておきます。

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Betty Wright
Billboard Live Tokyo
Mon., February 27, 2012, 19:00-20:20

1. After the Pain
2. In the Middle of the Game (Don't Change The Play)
3. Age of Innocence
4. Tonight's the Night
5. Greatest Love of All
6. Surrender
7. Shoorah Shoorah
8. Cleanup Woman
9. Keep Love New
10. No Pain, No Gain

[Personnel]
Betty Wright - vocals
Asher Williams - backing vo.
Aisha ”Bombshell" Wright - backing vo.
Ashaala Jenkins - backing vo.
Abel Pabon - key.
Charles Wright - gt.
Angelo Morris - b.
Ignacio Nunez - pero.
Gerald Warren - ds.

この公演は2日間ありましたが、もともと一晩2セットの予定でしたが、両日とも2ステージ目がキャンセルされ、一晩1公演でした。それでもそれほど客入りはよくなかったように記憶しています。残念なことですが。でも、彼女は上機嫌でいいステージを披露してくれました。見ることが出来てよかったです。

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1966年のレコード・デビュー以来半世紀以上にわたって活躍した彼女ですが、やはり一番有名なのは1971年のこの曲ですよね。この曲を聴いて彼女を追悼したいと思います。RIP。

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2020/5/23

Tommy Ridgleyを聴こう!  ニューオーリンズ

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Tommy Ridgley
Dream Palace, New Orleans, May 1, 1996
(c)Photo by Masahiro Sumori

好きなシンガーをシリーズ化するつもりはないのですが、もう一人すごく好きなシンガーを思い出しました。トミー・リッジリーです。

先日のパーシー・メイフィールドに比べたらあまり知名度は高くないかも知れません。でも、1949年のレコード・デビューから約50年の長きにわたってニューオーリンズを拠点に活躍しました。若きアーマ・トーマスを見出し、RONNレーベルに紹介したことでも知られています。彼女はRONNから1960年に"You Can Have My Husband”をリリースし、デビューを果たしています。

トミーは1950年代にはデッカ、アトランティックを始め、インペリアル、ヘラルドと複数のレーベルに作品を残し、活躍しました。アトランティックの名作を収めたコンピレーション・シリーズ「Atlantic Rhythm & Blues」のVol. 2に彼名義の”Jam Up”という曲が入っているのを覚えている人もいるかも知れません。しかし、この曲はインストで、トミーがこの曲に実際に参加しているのかは不明ですが。ピアノを弾いている可能性はあります。

力わざ的な歌い方をする人ではありませんが、暖かみのあるいい声にほれぼれします。特に初期の作品の多くはビッグ・バンドを伴ったスウィング感たっぷりなサウンドで聴きごたえも充分。

この人が十八番として歌ってきたのが、”I’ve Heard That Story Before”というオリジナル曲です。1958年にヘラルド・レーベルからシングルでリリースしていますが、その後も度々再演しており、1995年のアルバム「Since The Blues Began」ではゲストにスヌークス・イーグリンを迎えてこれまた強力なバージョンを披露しています。一方スヌークスはアルバム「Out of Nowhere」の中でトミーの”Ooh Lawdy My Baby”をカバーしていますね。

シンプルでほろ苦いバラード。味わい深いですよね。この人の人柄がにじみ出ているようでもあります。このヘラルド時代、それに続くRIC/RONN時代あたりは、どの曲も最高です。

個人的なことですみませんが、僕はニューオーリンズで何度か彼のライヴを見たことがあります。1996年に今は亡きドリーム・パレス(カフェ・イスタンブール)というライヴハウスで見た際に終了後、ホテルまで車で送ってくれました。とてもよくしゃべる親切でいいおじさんでした。その頃彼は腎臓を患い闘病中だったのですが、このときのライヴは完全復活を感じさせる力強い内容でした。しかしながら、その数年後の1999年に肺がんで他界。70歳でした。もう一花咲かせてくれると思っていただけに、とても残念でなりません。

大物的な存在ではないですが、得難い魅力を持った存在でした。50年代、60年代のニューオーリンズのR&Bシーンには彼のような知る人ぞ知るいいシンガーがたくさんたくさんいて、当時のクラブシーンを盛り上げていたのでしょう。

I’ve Heard That Story Before (Herald - 1958)


I’ve Heard That Story Before (Black Top with Snooks Eaglin 1995)


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I’ve Heard That Story Before (1958)
和訳:陶守正寛

愛していると言わないでほしい
本心ではないことはわかっているから
前も聞いた話だよ
もう聞きたくはないんだ

これが初めてのことではないよ
前にも僕を試したことがあったよね
だからそんな話はしないでくれ
もう聞きたくはないんだ

お願いだから
ただ友達でいてくれないか
だってもうお前を愛することはできないし
お前を騙すこともしたくない
もしそれをやったら、よくないことになるのはわかっているから

だからさよならを言おう
そう、これでおしまいだよ
前も聞いた話だよ
もう聞きたくはないんだ

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I’ve Heard That Story Before (1958)
Written by Tommy Ridgley
Angel Music, BMI

Don’t say that you love me
‘Cause you know it’s not true
‘Cause I’ve heard that story before
I don’t want to hear it no more

This is not the first time baby
You've tried me once before
So don’t bring me your story
I don’t want to hear it no more

Now please do me a favor
Just let me be your friend
‘Cause I can’t love you
And I don’t want to fool you
And if I do it would turn out bad in the end

So goodbye baby
Yes this is the end
I’ve heard your story before
I don’t want to hear it no more
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2020/5/20

追悼!ラッキー・ピーターソン 1964-2020  ブルース

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Lucky Peterson初来日公演(1995)のチラシ

まさに青天の霹靂。5月17日、ラッキー・ピーターソンが亡くなりました。彼のfacebookページによると、ダラスの自宅で具合が悪くなった彼は危篤状態で病院に搬送されたものの、回復することなく米国中部標準時(CST)5月17日午後2:25に帰らぬ人となったとのことです。

https://www.facebook.com/LuckyPetersonMusic/photos/a.154262927954185/2953262278054222/?type=3&theater

死因については触れられていませんが、急なことだったようです。昨年(2019年)は新作「Just Warming Up!」をリリースしていますし、先月4月27日はオンラインで自宅からの演奏も配信しています。特に具合が悪そうではありません。

大好きなアーティストが亡くなってしまうことは少なからずありますが、ラッキーが亡くなるとは思いもよりませんでした。だってまだ55歳ですよ。近年もバリバリ活躍していましたし、ビックリしすぎて言葉を失いました。

1964年12月13日、ニューヨーク州バッファロー生まれ。ブルースマンのジェイムズ・ピーターソンを父親に持つ彼は幼い頃から音楽活動を始め、わずか5歳のとき(1969年)ウィリー・ディクソンのプロデュースの下、デビュー・アルバム「Our Future: 5 Year Old Lucky Peterson」をリリースしています。初めて日本にやってきたのは1983年4月。リトル・ミルトンのバンドのキーボード奏者としてでした。この時点でもまだ10代です。

その後1995年、2000年とソロ・アーティストとしても来日しています。僕はどちらも見に行きましたが、やり過ぎなくらい全力で疾走するステージは圧巻でした。

ギターを弾きまくり、オルガンも弾きまくり、客席に乱入し、ギターを弾きながら会場から出て行ってしまう。そんな爆走ステージが終わり、客席の照明が点くと、もう後ろのカウンターに座っていたのを覚えています。しかも汗だくでゼーゼーいいながら。(笑)彼には、「ひと仕事終えて楽屋で休む」という概念はなかったのでしょうね。

リーダー作は、アリゲーター、ジタン、JSPなどのレーベルから数多く出ています。プリンスやスティングをカヴァーしてみたり、ジャズにも触手を伸ばしたりと、音楽性は幅広かったですが、根底にはいつもブルースがあったのではと思います。

勢い命という感じで、味で聴かせるタイプではありませんでしたが、セッションマンとしては、相手の持ち味を理解した好演が多く、そこはさすがベテランです。メイヴィス・ステイプルズと組んだCD「Spirituals & Gospel」(1996年)などはバンドもなくシンプルな作品ですが、メイヴィスの歌を引き立てる渋いプレイが光っていました。最近では、クリスタル・トーマスの新譜「Don't Worry About The Blues」(2019年)でも元気な演奏を聴かせていたのが思い出されます。

まだまだこれからの活躍に期待していたのに、本当に残念。暴れ足りない分はぜひ天国でお願いします。

2020/05/22追記
ラッキー・ピーターソンの死因については公式な発表はないものの、彼の長年の友人で彼のバンドのギタリストでもあったショーン・ケラーマンによると、脳卒中だったとのことです。やはり本当に急なことだったようです。
https://www.wbgo.org/post/lucky-peterson-bluesman-prodigious-gift-both-organ-and-guitar-has-died-55
4

2020/5/15

Percy Mayfieldを聴こう!  ブルース

パーシー・メイフィールドというブルース・シンガーが僕は本当に好きです。

ブルースっていうとギターがゴリゴリだったり、泥臭いやつも大好きなんですが、パーシーはそういうサウンドとは対極にあります。メローで、どこかすっとぼけた雰囲気もあり、バラード中心で、パンチが効いているわけでもない。でも、でも、沁みるんですよね。いろいろなものを聴いて最終的に帰ってくるべき心のふるさとというか、そんなおもむきがあります。

彼はシンガーとしても素晴らしいですが、それ以上にソングライターとしての才能がブルースの世界の中でもずば抜けています。一ひねりあるウィットの効いた歌詞が多く、ブルースの詩人などと称されています。

生まれはルイジアナ州ながら長年ロサンゼルスで活躍し、1984年に亡くなったパーシー。絶頂期の50年代に交通事故で瀕死の状態となり、以後ステージに立つ機会はめっきり減ったようです。

特に後年はあまりピリッとしなかったという話もありますが、それでもいいので一度生で見てみたかった人です。僕がブルースにはまり出したのが1982年ごろ、ロサンゼルスでブルースのライヴに行くようになったのが1985年くらい。何だか惜しいニアミス(と勝手に思っています)。

そんな彼、名曲が多い中で一番有名なのが"Please Send Me Someone To Love"(1950年)という曲です。ブルースとしては珍しく世界平和という壮大なテーマを語っているのが印象的なのですが、この曲の面白いところは、「If it’s not asking too much」と、ついでに付け足す感じで神様に「私は恋人がほしい」とお願いするところなんですよね。次元の違いすぎることをついでに混ぜてくる(そして実はそっちが本題!)ところが妙に親近感が沸くというか、ブルースだなぁと思ってしまいます。シンプルながら本当に奥深い歌詞です。

世界が政治やら人種・民族問題やらなにかと対立を深める今こそ、説得力があるなぁと思ってしまうんです。和みます。くだらない対立なんてやめようよ、本当にそういう気持ちになる曲です。

とても多くの人がカバーしていて、名演は多いですが、僕はなんだかんだで、このオリジナル・バージョンが一番好きです。ぜひ今一度パーシー・メイフィールドの魅力をご堪能ください。
歌詞の和訳を付けてみました。↓↓↓



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Please Send Me Someone to Love (1950)
和訳:陶守正寛

天の神様
全ての人類に思いやりと心の平和をもたらしてください
そして、もし大変でなければ
私に愛する人をいただけませんか

世界の人々に仲よくする術をお教え下さい
憎しみがなくなれば、やがて平和が訪れるでしょう
そして、もし大変でなければ
私に愛する人をいただけませんか

眠れない夜、私は世界のもめ事に思いを馳せます
そして、いつも同じ結論に達するのです
人類がこの忌まわしい罪を終わらせなければ
憎しみが世界を炎で包むことになるでしょう
残念なことです

私が惨めな気持ちになったとしても
同情を請うたりしません
でも、もし大変でなければ
私に愛する人をいただけませんか

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Please Send Me Someone to Love (1950)
Words and music written by Percy Mayfield
©Sony/ATV Music Publishing LLC

Heaven please send to all mankind
Understanding and peace in mind
But if it's not asking too much
Please send me someone to love
Someone to love

Show all the world how to get along
Peace will enter when hate is gone
But if it's not asking too much
Please send me someone to love
Someone to love

I lay awake nights and ponder world troubles
And my answer is always the same
That unless men put an end to this damnable sin
Hate will put the world in a flame, what a shame

Just because I'm in misery
I don’t beg for no sympathy
But if it's not asking too much
Please send me someone to love
Please send me someone to love
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2020/5/13

追悼リトル・リチャード 1932-2020  ロック

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Little Richard at Long Beach Blues Festival
Sept. 2, 1996, CSULB, Long Beach, CA
(c)Masahiro Sumori. All rights reserved.

リトル・リチャード(本名Richard Wayne Penniman)の訃報は5月9日、週末の夜に突然入ってきました。Twitterのタイムラインは瞬く間にその話題で溢れていました。彼は同日、テネシー州タラホーマの親族の家で亡くなりました。骨ガンで闘病中だったとのことです。87歳でした。

でも、正直僕にはあまり驚きも衝撃もありませんでした。2013年に引退宣言をしてからどうしているのか伝わってきていませんでしたし、相当高齢だったので、「あぁ、そうか」と比較的冷静に受け止められました

新作に至っては1992年の高中正義との共演盤を最後に30年近く何も出していなかったので、引退する前から現役感はあまりなかったですし。でもやはり寂しいですね。

彼を初めて聴いたのがいつ、何だったのか、全く覚えていません。多分、”Lucille"か"Tutti Frutti”あたり?、あるいはビートルズがやった”Kansas City”のカヴァーの方が先だったか、どっちだろう?普通好きなアーティストを初めて聴いたときのことは覚えているんですが、彼のようにあまりにも有名でどこにでも流れていると、そうもいかない。気が付いたら耳にして踊っていた、そんな感じですかね。中学生の頃だと思います。

一度だけ彼を見る機会がありました。1996年、毎年行っていたカリフォルニア州のロング・ビーチ・ブルース・フェスティバルで彼がヘッドライナーを務めたのでした。演奏はダラダラでそんなによいと言えるものではなかったですが、その存在感たるや強烈でした。ピアノも歌も、振る舞いもまさにリトル・リチャード。こんな人は他にいないです。

□■当時書いたライヴ・レポート■□

彼が登場したときの異様な熱気は忘れられません。ブルース・フェスの出演者って普通、B.B.キングだろうとボビー・ブランドだろうと、どんな大物が出てきても、ブルースマンなんて知らない人は知らないじゃないですか。でも、アメリカでリトル・リチャードを知らない人はまずいない。あの熱気はそれを如実に示していました。”We love you Richard!”とあちこちから熱烈なリチャード・コールが起こる中、ふざけながら”Shut up!”と客に吐き捨てさらに盛り上がる、そんな感じ。

この日のセットは、彼が50年代に一緒にやっていたグレイディ・ゲインズと彼のバンド、テキサス・アップセッターズだったこともあり、リチャードはすごくノリノリだったのも印象に残っています。リチャードの前でグランドピアノに乗ってサックスをブロウしている有名な映像(1956年の映画「Don't Knock The Rock」)がありますが、その男がグレイディ・ゲインズです。このときも、同じ勢いでブロウしまくっていました。

グレイディも暴れる「Don't Knock The Rock」より


確か90年代の始めくらいだったと思いますが、リチャードの来日が決定したことがありました。新聞に広告が出たときは「おお!」と思いましたが、結局中止になりました。チケットが1万円くらいとあまりに高く、会場も日本武道館と大きかったので、そもそもの設定が無理があったのかも知れません。あまり宣伝もしていなかったようなので、多分売れなかったのでしょう。これ以降来日の話が出ることはなかったと思います。

彼のカバーをしたアーティストは数えきれないほどいますが、ひとつ印象に残っているのはフェントン・ロビンソンがやった”Directly from My Heart to You”です。これは本当に名演ですが、僕はオリジナルよりもこちらを先に知りました。



リチャードはジョージア州出身ですが、彼の黄金期、1950年代のスペシャルティ録音の多くはニューオーリンズのJ&Mスタジオで収録されています。参加したミュージシャンもリー・アレン(sax)やアール・パーマー(ds.)ら地元ミュージシャンなので、ニューオーリンズ感いっぱい。ピアノの相当部分はリチャード本人ではなくヒューイ・スミスあるいはエドワード・フランクが弾いていたと言われていますが、なぜリチャードを差し置いて彼らが呼ばれたんでしょうね。リチャードにはシャウトの方に専念してほしかったから?本人のプレイは気まぐれすぎたから?色々想像すると面白いです。

リチャードが亡くなり、50年代のロックンロール黄金期を彩ったスターで存命なのはジェリー・リー・ルイスとロイド・プライスくらいになってしまいました。50’sもそれだけ昔の話になってしまったんですね。
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