2021/5/23

RIP Bob Koester 1932-2021  ブルース

シカゴのデルマーク・レコードの創設者、ボブ・ケスターが5月12日、亡くなったそうです。88歳でした。デルマークは1953年設立。60年以上の歴史があります。

彼はシカゴでジャズ・レコード・マートというレコード店も経営していましたが、そちらは2016年にレコード店の在庫を売却し閉店。デルマークについても2018年ジュリア・ミラーとエルビオ・バリラリに売却し、経営から退いていました。高齢になり、退く準備を少しずつ進めてきたということなのでしょう。

近年、ケスターは脳卒中に見舞われ、ホスピスケア下にあったそうです。

ジャズ・レコード・マートはもうありませんが、デルマークは、新経営陣の下で健在です。

1932年、カンサス州ウィチタに生まれたボブ・ケスターは、1953年、セントルイスでレコード・レーベルを設立。レーベルの事務所があった通りの名前を取ってデルマー・レコードと名付けました。当初はジャズのグループのレコーディングをしていましたが、ビッグ・ジョー・ウィリアムズらブルースも手がけるようになりました。

1958年にケスターはレーベルとともにシカゴに拠点を移します。この際にレーベル名を現在のデルマーク(Delmark)に変更。また、翌1959年にはセイモアズ・レコーズというレコード店を買収し、ジャズ・レコード・マートに店名を変更しました。

以後デルマークはスリーピー・ジョン・エスティス、ジュニア・ウェルズ、マジック・サム、ロバート・ロックウッド・ジュニアなどなど、ブルースの名盤を数多く世に送り出します。

アリゲーター・レコードの社長、ブルース・イグロアも1970年に同社を設立する前はデルマークで働いていました。彼がハウンド・ドッグ・テイラーを見出し、ケスターにデルマークからのリリースを打診して断られたことから、自分のレーベルを興すことになったのは有名な話です。テイラーはアリゲーターを成功に導く人気を博した訳ですから、結果としてケスターの判断は間違っていたとも言えるのでしょう。しかし、デルマークはその後もジミー・ジョンソン、デイヴ・スペクター、ルリー・ベルなど新しいアーティストの作品を送り出しながら、今日まで健在であり続けました。

デルマークは、現存するブルース系のインディ・レーベルとしては全米でも最も古いレーベルだろうと思います。チェスやスペシャルティなど、大手に買収されて、ブランドだけ残っているレーベルならばもっと古いものもありますが、一貫して独立的な立場で70年近くやってきたレーベルは他にないでしょう。デルマークについで長い歴史を誇るレーベルにアーフーリーがありますが、同社は1960年設立で、昨年60周年を迎えています。あちらは未だ創設者のクリス・ストラックウィッツが健在です。これもすごいことですね。

ボブ・ケスターさん、たくさんの名作をありがとうございました。デルマークが今後とも息長く続きますように。
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2021/4/9

四谷三丁目BLUE HEAT閉店  ブルース

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3月30日で、四谷三丁目のブルースバー、BLUE HEATが閉店しました。移転前の渋谷時代から数えると20年以上。ブルース系のお店としては老舗でした。マスターの兵頭さんは、もうサラリーマンならば定年の年齢を超えたので、閉店したあとにスケルトンに戻す元気があるうちに店を畳んでおこうとい考えていたそうです。

とは言え、このコロナ禍でどんよりした日々が続く中の閉店。非常に淋しいものがあります。昨年10月には渋谷のテラプレーンが閉店となりました。やはり同じくらい老舗のお店でした。荻窪のライヴハウス、ルースターも昨年9月、メインだった本店を閉め、ノースサイド店に統合しました。ブルース好きの憩いの場がどんどん失われていくのは残念でなりません。

BLUE HEATは1998年に渋谷の桜丘町に開店。渋谷駅の西口から徒歩で5分程度の雑居ビルの2階でした。比較的線路に近いところで、かつて芽瑠璃堂があった場所の裏あたりでした。急な階段を上がった2階。酔っぱらった後にその階段を降りるのが怖かったのを覚えています。

2010年、入居ビルの取り壊しが決まると、同じ渋谷の中で移転するものと思いきや、意外な四谷三丁目という新たな地に店舗を構えました。渋谷店よりも広く、ステージをゆったりと取った新店舗は渋谷時代よりもライヴを重視した営業となっていきました。

僕がBLUE HEATに初めて行ったのがいつだったのか、よく覚えていません。でも、1998年の開店後そう経っていなかったのではと思います。渋谷のQUATTROなどでライヴを見た後に寄るお店の筆頭がBLUE HEATかテラプレーンでした。一時期は、仙台の酒屋さん兼ライターの佐々木健一さんを迎えたレコード鑑賞会が定期的に開かれていて、僕もよく行っていました。佐々木さんとの縁で、BLUE HEATにはいつもメニューに宮城の地酒がありました。あまり東京では飲めない墨廼江や日高見、栗駒山などが頂けるところが貴重でした。

渋谷旧店舗の界隈は再開発ですっかり別物のようになり、今も大規模開発が続いていますね。

新店舗と旧店舗はちょうど同じくらい、ともに10年あまり続いたことになるようです。

そのBLUE HEATのマスター、兵頭さんはビックリするほど愛想のない人です。(笑)

僕が見納めと思って3月25日に来店したときも、表情を変えずボソッと「珍しい…」と一言。1月に伺った際に「もう1回は来ますよ」と伝えたんですが。(笑)

兵頭さんは結構神経質で、店内には昔から「ここに飲み物を置くな」とか「トイレのカギはちゃんと閉めろ」とか、様々な注意書きがあちこちにありました。注文の多い料理店ならぬ、注文の多いブルースバーと言ったところですかね。でも、取って食われたりはしませんでしたけど。

そんな兵頭さんですが、お店同様多くのお客さん、ミュージシャンの人たちに慕われていたので、今回の閉店を残念がる人は少なくなかったと思います。

今後兵頭さんは故郷の京都に戻られるそうです。その後、もし内装に手間を掛けなくていい物件が見つかれば新しくお店をやることも考えたいとのことです。

何はともあれ、約22年間お疲れ様でした!
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2021/1/28

日倉士歳朗RIP  ブルース

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2014年横浜ジャグバンドフェスにて

ギタリスト/シンガーの日倉士歳朗さんが2021年1月9日、亡くなりました。68歳でした。

2019年の2月に悪性リンパ腫と診断されたことを発表し3月末までのギグをこなしたあと、4月から活動を休止して入院治療に入っていました。当初の治療は順調で、寛解というところまで行ったことをご本人が発表していたものの、その後何度か転移が見つかり、一進一退の状況が続きました。

最後は、自宅での療養中に息を引き取られたそうです。

日倉士さんは、1952年生まれのギタリスト、シンガーで、スライド・ギターを得意とするギター・スタイルはライ・クーダー、デイヴィッド・リンドリーと比較して語られることも多い人でした。

1976年にBob’s Fish Marketに参加したことで本格的な活動を開始。1994年からはMooneyらとともにMad-Wordsを結成。2002年にMooneyが立ち上げた横浜ジャグ・フェスティバルには2018年までMad-Wordsで出演していました。

僕が初めてそのプレイに触れたのは多分、2000年日比谷野外音楽堂で行われた「ブルースに乾杯」というフェスティバルだったように思います。その後、横浜ジャグバンド・フェスティバルもほぼ毎年行ってましたし、いろいろな機会でそのプレイに触れることができました。2019年に活動を休止した際はまさかこのような結果になろうとは思いませんでした。まだ若いのに残念でなりません。

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2018年、最後となった横浜ジャグバンドフェス出演時

亡くなる直前の2020年12月、日倉士さんは闘病中に作った2曲入りシングルCD「message」をリリースしました。こちらは横浜のライヴハウスThumbs Upが自主制作でリリースして大きな反響を集めています。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3574946159261964&id=746373948785880



コロナ禍の昨今ですが、ご本人は落ち着いた頃に、横浜Thumbs Upにて盛大に「お別れの会」を開いて欲しいと言われていたそうです。早くその日が来ることを願ってやみません。

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2001年頃、自由が丘マルディグラにて
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2020/9/29

9月29日、オーティス・ラッシュの命日です  ブルース

シカゴ・ブルース界の偉大なギタリスト、オーティス・ラッシュが亡くなって2年が経ちました。

彼については、このサイトでディスク・ガイドも作っているし、もう言い尽くした感もあるのですが、やはり類稀なる存在だったと思います。

僕はB.B.キングが亡くなった際、B.B.の才能(すごいところ)について、「長く第一線で創造力を発揮し続けたこと」にあると指摘しました。

そういう意味で言えば、オーティスは「B.B.キングのようにはなれなかった人」でもあります。

でも、僕は彼の魅力はその事実と表裏一体だと思っています。自分の気分、感情に素直だからこそ、常にいいいい演奏をするのは難しい。その代わり、乗っているときのオーティスの凄さは筆舌に尽くしがたかったのです。いつも安定していい演奏をする人は、あの乗っているときのオーティスのような演奏はできないでしょう。そのギターの一音一音、そして歌声からはストレートに感情が迸っていたと思います。

内なる感情を吐露するのがブルースの本質だとすれば、オーティスほどブルースを生きた人は珍しいかも知れません。

悪い言い方をすれば気分屋さんです。それ故に作品自体多くはないですが、幸い初期のコブラ時代(1956-58)から始まり、節目節目で傑作を残してくれました。僕の作ったディスク・ガイドが彼の作品を聴くお供になってくれればこれほど嬉しいことはありません。

彼の命日を機に、オーティス・ラッシュを聴いてみませんか?

どれから聴いていいのかわからない、というのであればまずはコブラ時代の16曲(色々なコンピレーション・アルバムが出ています)、そして1971年にレコーディングされたアルバム「Right Place, Wrong Time」を聴いてみてください。後悔はしないでしょう。

オーティス・ラッシュ・ディスク・ガイド
http://bluesginza.web.fc2.com/rush/

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【過去のオーティス・ラッシュ関連記事】

オーティス・ラッシュが亡くなって一年 (2019/9/29)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1861.html

4月29日はOtis Rushのお誕生日です (2019/4/29)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1837.html

Otis Rushの訃報に接して (2018/10/4)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1800.html

Happy 80th, Mr. Otis Rush! (2015/4/29)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1618.html

Happy birthday, Otis Rush (2014/4/30)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1523.html

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2020/8/28

ブルース・ギタリストBryan Leeが他界  ブルース


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Bryan Lee at the Blues Club, Apr. 26, 2004
Bourbon Street, New Orleans
(c)Masahiro Sumori. All rights reserved.

ブルース・ギタリスト、シンガーのブライアン・リーが亡くなりました。77歳でした。

亡くなった原因は明らかになっていないのですが、8月21日、フロリダ州サラソータのホスピス施設で亡くなったということですから、闘病中だったのでしょう。2018年に出したアルバム「Sanctuary」でも元気な演奏を聴かせていましたが、これが最後のリリースとなってしまいました。

ブライアンは1943年、北部ウィスコンシン州のトゥーリヴァーズ生まれ。8歳の頃に失明しており全盲でした。braille blues daddy (点字のブルースおやじ)の愛称で親しまれました。

1980年代初頭にニューオーリンズに移住し、以後30年に渡り同地を拠点に活躍しました。僕も1988年に初めてニューオーリンズを訪れた際、バーボン・ストリートのライヴハウス、オールド・アブシンス・ハウスで彼のライヴを見たのを覚えています。当時、ここがブライアンのホームだったのです。

1990年代にこのお店がダイキリスタンドに変わってしまいライヴをやらなくなると、同じバーボンの別のお店にホームを移し、ギグを続けました。

長年ニューオーリンズに住んだブライアンですが、ギグが少なくなってきた2013年にフロリダ州に移住します。しかし、ニューオーリンズへの愛着は変わらなかったようで、度々戻ってきてはプレイしていたようです。

彼のサウンドはB.B.キング、アルバート・キングといった人たちの流れをくむ正統派なコンテンポラリー・ブルースを基調としながら、ジャンプやロックンロール的な要素も感じさせるノリノリで楽しいブルースでした。特に2002年の「Six String Therapy」で聴かせたニューオーリンズ味のR&Bは最高でした。

ルイジアナ出身のブルース・ロック・ギタリスト、ケニー・ウェイン・シェパードが彼を師と仰いでいたのは有名な話です。ケニーが13歳の頃、ニューオーリンズでブライアンのライヴに行った際、ブライアンは彼をステージに上げて共演し、これがきっかけで彼はプロのミュージシャンになる決意をしたのだそうです。

この2人はブライアンのライヴ盤、そしてケニーのアルバムでも共演をしています。

Kenny Wayne Shepherd Feat. Bryan Lee - Tina Marie - USA 2006



ブライアンはカナダのジャストインタイム・レーベルを中心に計17枚のアルバムをリリースしました。前述のラスト・アルバム「Sanctuary」はゴスペル色も加えたサウンドを展開していたのは印象に残りました。

ブライアン、安らかに。

Bryan Lee - Braille Blues Daddy
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