2014/7/18
訃報: Johnny Winter 1944-2014 ブルース
Johnny Winter at the Long Beach Blues Festival
September 15, 1990, (c)Photo by Masahiro Sumori
ジョニー・ウィンターの訃報に接して、呆然としています。彼が健康問題を抱えていることは判ってはいたけど、その死をすんなり受け入れるには彼の存在は大きすぎました。
ジョニーは、ツアーで訪れていたスイス・チューリッヒのホテルの部屋で7月16日に亡くなったそうです。死因など詳細は明らかになっていませんが、体調はよくなかったという情報もあります。4月には3度目の来日公演も終え、9月には新譜のリリースも控えていました。近年は、かつての勢いはなかったのは事実ですが、それでも今年は新譜のリリースにあわせてということなのか、年末までスケジュールはぎっしり埋まっていたようです。70歳でした。まだ亡くなるには早すぎたと思います。
本名、ジョン・ドーソン・ウィンターIII世。1944年2月23日、テキサス州ボーモント生まれ。2歳下の弟エドガーと、昔からしばしば一緒に活動をしていましたが、彼らの音楽性はある意味正反対。ジョニーが基本的にブルースをコアに据えてギター一筋で常にアグレッシヴなサウンドを展開したのに対し、エドガーはよりブルーアイド・ソウル的なしなやかなサウンドを得意としていました。楽器もサックスやキーボードを操るマルチプレイヤーです。しかし、この個性の違いがお互いを補完する形となっていたのは、彼らの共演を聴けばよく判ります。
ジョニーの父親は、彼が生まれた当時は米軍勤務でミシシッピ州リーランドに駐在していましたが、母親は故郷のボーモントに帰省してジョニーを出産しました。幼少期は主にボーモントで過ごしたそうです。
ジョニーが初めて手にした楽器はクラリネット。4歳の頃でした。その後、ウクレレを経て、ギターに転向。ブルース・ギタリストのクラレンス・ガーロウのラジオ番組を耳にし、そこから流れるブルースに深く傾倒して行ったジョニー。14歳の頃にはをプロとして活動するようになりました。1959年、15歳の頃には、既に地元のローカル・レーベルからレコードを出しています。
1968年、オースティンのローカル・レーベルからデビュー・アルバム「The Progressive Blues Experiment」をリリース。しかし、彼の名を世界に知らしめたのは、翌年CBSからリリースになったメジャー・デビュー作「Johnny Winter」でした。契約額の大きさから100万ドルのギタリストなどと騒がれた作品ですが、その内容はアコースティックの弾き語りスタイルも含む渋めなブルース。しかし、傘下のブルースカイも含め十数年続いたCBS時代にジョニーは12枚のアルバムを発表し、ブルース・ロッカーとしての不動の地位を築いたのでした。1969年にはウッドストック・フェスティバルにも出演しています。
1970年代後半には、彼が師と仰ぐマディ・ウォーターズをブルースカイ・レーベルに招き入れ、彼のアルバム4枚の制作に関わりました。自らの作品「Nothing But The Blues」でもマディをフィーチャーしています。この作品はCBS/ブルースカイ時代のもっともブルース色の濃い作品でした。
しかし、1980年代に入ると「俺はもっとブルースがやりたいんじゃー」とでも言わんばかりに、シカゴのブルース・レーベル、アリゲーターと契約、ここでは3枚のブルース・アルバムをリリースしています。その後、MCA系列のヴォイジャーからリリースとなった「The Winter of '88」では再びロック路線に戻るものの、続くポイントブランクからの作品では、再びブルースをストレートに押し出して行きました。
1990年には、待望の初来日公演が発表されるものの、直前になって突如中止。理由について主催者側からの具体的な説明はなかったものの、日本では麻薬に指定されているメタドンをジョニーは当時ヘロイン中毒の治療薬として服用しており、それが問題となったと言われています。
1992年の「Hey, Where's Your Brother?」まで順調なペースで作品をリリースしていたジョニーでしたが、その後は暫くリリースが途絶えました。1997年にライブ・アルバム「Live In NYC '97」をリリースするものの、プレイの衰えは一目瞭然でした。それでも、ペースは落としながらも活動を続け、2004年には実に12年ぶりとなるスタジオ盤新譜「I'm A Bluesman」をリリース。
2010年、ジョニーはメタドンの服用を断ち、2011年4月、67歳にして遂に待望の初来日が実現しました。このときの模様はWOWOWで放送され、DVDにもなりました。その後2012年、2014年と来日を重ねたジョニー。2012年のブルース&ソウル・カーニバル出演の際には、サニー・ランドレスら他の出演者とのジャム・セッションも披露しています。
晩年の衰えは痛々しいという声も聞かれますが、僕は2011年の初来日を見た際、それも彼の生き様をあらわしているんだよなと妙に感慨深いものを覚えました。もちろん調子がよければそれに越したことはないのですが、ファンならば衰えたからといって切り捨てることはできません。そういう思いは恐らく多くのファンが共有していたのだと思います。最後となった今年の来日公演も多くの熱心なファンで埋め尽くされていました。もう、再びこの光景を見ることが出来ないと思うとやはり寂しいです。
ジョニー、安らかにお眠りください。暫く追悼で彼の音楽を聴きまくることとします。
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【過去の公演のレポート】
初来日(2011年)http://black.ap.teacup.com/sumori/658.html
2度目の来日(2012年)http://black.ap.teacup.com/sumori/1092.html
3度目の来日(2014年)http://black.ap.teacup.com/sumori/1516.html
1985年、1990年公演(米国) http://black.ap.teacup.com/sumori/600.html
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