ミシシッピのディープなオヤジ日本にあらわる

R.L.バーンサイド来日公演リポート




3月末、噂のロシアン・レストラン「ヴォルガ」にて、R.L.バーンサイドを見てきた。
いやはや、私はピロシキをほおばりながら、笑いが止まりませんでしたよ。高校の頃から、ゴキゲンなブルーズを聞くと、笑い上戸になるというのが体質なのだ。そう、短い時間ながら、それくらいワン・コード・ブルーズの妙を味わった。

知らない方のために、R.L.バーンサイドについて、ちょっと説明しておこう。1927年ミシシッピ生まれ、もうすぐ70に手が届こうとする彼が注目されたのは、フィルム『ディープ・ブルーズ』だ。80年代には、いわゆる南部のカントリー・ブルーズ・スタイルは死んだも同然と思われていたので、一躍脚光を浴びた。レコーディングも67年にアーフリーに吹き込んだのが最初だ。『Mississippi Delta Blues』(Arhoolie)。片面はジョー・キャリコットである。と言っても、ただ単に録音の機会に恵まれなかっただけで、その活動歴は長い。レコードの向こう側にいる私たちの知らない何十人ものミュージシャン。ミシシッピのジュークジョイントで、週末になると、仕事の傍らブルーズを楽しんでいたブルーズマン。そのうちの一人が、こうして私たちの目の前に、”たまたま”その姿を現したと思えばいい。

ジョン・リー(フッカー)なんかもそうだが、ワン・コード・ブギは、パンク・ロックのバンドをもノックアウトする魔力を持っている。R.L.も、ジョン・スペンサー・ブルーズ・イクスプロージョンとのツアーの他に、何週間ものヨーロッパ・ツアー等をこなし、ブルーズ・ファン以外からも喝采を浴びているのだ。

今回のヴォルガは、白人のサイド・ギターとドラムスとのトリオでの演奏。なんかどさくさで、これもまた楽しく笑えた。だいたいR.L.オジサンの曲というのは、いつ終わるのか合図がよくわからないので、バンドさんも大変だ。それもちっとも嫌味じゃなく、むしろご愛嬌。一曲終わるごとに、あんまり表情の変わらないR.L.が、少し顔をほころばせて「ウェール、ウェール(Well, Well)」と言うのが、なんかおかしかった。このホームページのスタッフ陶守くんの訳によれば「おやまあ、まあ」が近いのではないか、という事なのだが。

ヴォルガよりは、やっぱり踊れる所で聞きたかったな!踊る音楽ですよ、あれは。それと、ブルーズをあんまり知らない若い人たちにも見てほしい。ヴォルガは30分ステージで物足りなかった(笑い足りなかった)し、再来日を切に希望します。(妹尾みえ)




(付録) R.L.バーンサイド・インタビュー



以下は、ブルーズ・メーリング・リストよりの抜粋。
LW 氏が、メンフィスのビール・ストリート・ブルーズ・フェスティヴァルでインタビューしたものの訳です。 (訳:妹尾みえ)

Q: ギターを始めたきっかけは?

R.L.: えーと、ブルーズは好きで聞いてたんだ。フレッド・マクダゥエルとかマディ・ウォーターズとかね。それでギターを演りはじめたんだな。


Q: 彼らと一緒にプレイしたことはありましたか?

R.L.: フレッドとは随分やったよ。フレッドからはたくさんの事を教えてもらった。


Q: あなたに一番影響を与えたのは、フレッド・マクダゥエルですか?

R.L.: そうだ。彼とマディだな。私はエルモア・ジェイムスとライトニン・ホプキンスも好きだよ。いいね、彼らは。とってもいいね。


Q: シカゴに出てきたのはいつですか?

R.L.: 50年代だね。


Q: マディと一緒にプレイしたのは?

R.L.: マディと会った時は、まだあんまり上手くなかったんでね。マディは、私の2番目のいとこと結婚してたんだよ。


Q: フレッド・マクダゥエルにはミシシッピで会ったんですね?

R.L.: イエー、フレッドはずっとコモに住んでたんだ、私たちはそこから10マイルか12マイル離れたコールド・ウォーターにいてね。毎週末になると、聞きにいったものさ。


Q: あなたはいつ、ミシシッピに戻ったんですか?

R.L.: 50年代の終わりさ。シカゴにいたのは3年半だった。


Q: ところで、ジョン・スペンサー・ブルーズ・イクスプロージョンとは、何年くらいツアーしたんでしたっけ?

R.L.: 1年半か2年くらいになるだろうね。


Q:彼らと一緒にツアーすることで、ずいぶん知名度があがりましたよね。

R.L.:確かにそうだね。私たちは今まで3つのツアーをこなした。


Q: まだジュニア・キンブロウのクラブでは演奏してるんですか?

R.L.: ああ、だいたい毎週土曜の夜にはね、店が開いてればだけど。


Q: ジュニア・キンブロウと知り合ってからは、どれくらいになりますか?

R.L.: もう12年、いや15年くらいになるかなあ。


Q: ジュニアのクラブに集まる人たちと、ブルーズ・イクスプロージョンのお客さんとはまったく違うと思うんですが、いかがですか?

R.L.: イエー


Q: どちらも同じように、あなたを評価していると想いますか?

R.L.: 同じだよ。みんなよく分かってる。間違いないよ。


Q: それでは、ミシシッピにあるジューク・ジョイントと大きなクラブと、どちらで演奏するのが好きですか?

R.L.: たとえお客がたった一人だろうと、500人だろうとベストを尽くすことには変わりないよ。私はブルーズが好きだし、ただそこでブルーズを演るだけだよ。


Q: あなたはアコースティック形式のショウをやる機会も多いですよね。

R.L.: オールドのアコースティック・ギターでやるのを喜ぶ人が多いね。ツアーに出た時にも、何回もアコースティックをもったし、だいたい古いブルーズはアコースティクの方がいいって、みんな言うね。


Q: ギグの機会はとても安定してますね。

R.L.: イエー、夏の間はそうだね。でも、この冬は2ヶ月くらいで一つだったんだ。今は別のやつを始めたところだ。あったかくなってきたら、忙しくなるだろうね。


Q: 息子さんのドゥエインもなかなかのギタリストだと伺いましたが?

R.L.: そうさ、あいつはいいギタリストだね。私を含めていろいろなプレイヤーを見て自分で覚えたんだ。


Q: お子さん方はみなさん、楽器をプレイするんですか?

R.L.: 一人を除いてはね。生きているだけで12人の子どもがいるんだけど、ギターとかピアノとか、みんな何かしらプレイするよ。そのうち2人は私と一緒に住んでる。


Q: お子さんたちにプレイすることを教えたんですか?それとも皆さん、自分で?

R.L.: ごく自然にやるようになったね。


Q: (Fat Possum)の「Bad Luck City」と「Too BAD Jim」は唯一のレコーディングになりますか?

R.L.: Swing Masterにも入れたよ。海外のレーベルでね、「The Hill Country Blues」だよ。Highwaterにはメンフィスでデイヴ・エヴァンスといっしょに一曲吹き込んだ。


Q: 音楽以外の仕事は持ってるんですか?

R.L.: いいや、音楽だけだ。ここ10年くらいは演奏だけで喰ってるんだ。10年か11年くらい前までは、農場で働いたり、魚をとったりしてたんだけどね。今は音楽を少々プレイしながら僅かばかりの年金を貰って、それで充分暮らしていけてるんだよ。


Q: 今、ブルーズは強力なものになってきつつあると感じますか?

R.L.: オーイエー、みんな10年か15年前に比べたら、すごくブルーズが好きだよね。当時はショウをやるのも難しかったよ。20年くらい前にはずいぶんソロでやったけど、とにかくギグするのが大変だったんだ。でも、今はみんな古いブルーズを聞きたがってるよね。





inserted by FC2 system