FENTON ROBINSON
Club Quattro, Tokyo, Japan, January 24, 1989

(1 or 2 tunes played by the back up band)
Country Girl
Going To Chicago
You Don't Know What Love Is
Just A Little Bit
Stormy Monday
My Girl
Somebody Loan Me A Dime
-Encore-
You Say You're Leaving
As The Years Go Passing By

コンサート時間 7:00p.m.-8:35p.m.
(7:00p.m.-7:10p.m.:バック・バンド;
8:35p.m.-8:55p.m.:アンコール)



Fenton Chirashi


彼の来日公演は、本当に「待望の」と呼ぶに相応しいものでした。1970年代の日本における最初のブルース・ブームの頃、日本で大きな支持を受けたフェントンは、1978年にトムズ・キャビンの招聘で来日することが一度は決まっていました。ところが日本政府が彼にビザを発給しなかったため、来日は中止となってしまったのです。(1969年に彼は交通事故で相手を死なせてしまったことがあり、この「前科」が問題となった)それから10年以上の歳月が流れ、ようやく実現したのがこのツアーだったというわけです。その実現の陰には、関係者の粘り強く交渉があったそうです。

上記曲目リストは、コンサート後に僕が書いたメモ書きによるものです。コンサートの最中にメモっていたわけではないのであまり正確ではないですが、やった曲は大体こんなもんです。

当時はフェントンの調子は下降傾向にあると見られていたので、この来日にも酷評もありました。確かに、70年代以前のフェントンを見れたらもっとすごかったのかも知れません。でも、僕はこの日の彼の演奏には本当に感激しました。声が以前のように出ていなかったのは事実ですが、ギターはやはりすごかったし、そこにはまさにフェントンでしかありえない、独自の世界が展開されていたのでした。ファンとしての思い入れがあれば、アーティストの全盛期だけを聴いてあとはバッサリ切るなんていうことは出来ないんじゃないかと思います。全盛期は過ぎていたとしても、アーティストの生き様は音楽に表れるわけで、それを生で体験することには特別な意味があったと思っています。

まず、バックのバンドが登場。確かギター、ベース、ドラムスの3人だったと思います。彼らだけで1、2曲演奏をしたのですが、その演奏を聴きながら、ふとステージ袖のドアに目をやると、そこには不安そうに客席の様子を窺うフェントンの姿がありました。来日中止の苦い思い出を経て遂に実現した初来日公演の初日でしたから、彼としても特別な思いがあったのかも知れません。

彼が登場して演奏を始めると、そうそうこの音。確かにフェントンでした。でも、やはり緊張していたのか、歌もギターも堅く、ぎこちなさが目立ちました。1曲演奏したあと、客席から大きな歓声がわきました。すると、フェントンの表情が、ふっと穏やかになったように思えたのです。それからは、どんどん調子は上向いてきました。もう、これぞフェントン!という音に、大感激してしまいました。

この日、Quattroのフロアには椅子席が出ていて、僕は一番前の席に座ることができました。目の前でフェントンをよーくみました。終りの方で、フェントンはポケットからいくつかピックを客席に投げたのですが、そのうちのひとつを獲得。今も大事にとってあります。フェントン特別仕様ではなく、ハードタイプのヤマハのピックでした。これが通常彼が使っていたピックなのかは定かでありません。

またいつか彼のライブを観たいと思っていましたが、僕にとってはこの日のライブが最初で最後でした。でも、1度観れただけでも幸せです。










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