Gatemouth CLARENCE "GATEMOUTH" BROWN
...っていったい誰?

1924年4月18日、ルイジアナ州ヴィントン生まれ
2005年9月10日、テキサス州オレンジにて没
Guitars, vocals, violin, harmonica, etc.


ブルースマンとして語られることを嫌い、ケイジャン、カントリー&ウェスタン、ジャズなど幅広いサウンドを取り入れたサウンドを展開する、ブルースの世界では異端児的存在。曲芸的な要素も織り交ぜたそのプレイには、アルバート・コリンズ、ジョニー・ギター・ワトソンなど、影響を受けたギタリストは数多し。

彼は、テキサスとの州境にあるルイジアナ州の町、ヴィントンに生まれ、生後まもなくテキサス側の町オレンジに移住、ここで幼少期を過ごす。(「Standing My Ground」収録の"Born In Louisiana"でこのことについて歌ってる。)ゲイトと言えばやはりギタリストとしてのイメージが強いのだが、父親がカントリー・フィドル(ヴァイオリン)をやっていた影響で、フィドル、ヴィオラも操る。その他ドラムス、ピアノ、ハーモニカなどもこなすマルチプレイヤーだ。

デビューは1947年、アラディンから。4曲を吹き込むが全く売れず、同年ヒューストンにドン・ロビーが興したピーコックへ移籍。61年まで在籍し、数多くのレコーディングを行う。この頃の彼は、ビッグバンドをバックにつけたテキサス・スウィング・スタイルで、ギターのプレイ、バンドのスタイルともに、Tボーン・ウォーカーの影響が色濃く出ているが、抜群なリズム感とワイルドなギターは、ゲイトならではのもの。ここでの彼の活躍は、テキサス・ブルースの流れに大きく影響を与えた。ゲイトにとっても、ピーコックは間違いなくキャリアのピークのひとつだ。ここでの名曲は数多かれど、やはり彼のプレイが堪能できるインスト、"Okie Dokie Stomp"がまず筆頭に挙げられる。

ピーコックを去ったあとはレコード契約に恵まれず、しばらく空白期が訪れる。ハーミテッジなどマイナー・レーベルにレコーディングはあるにはあるが、数は少ない。当時はコロラド、ニューメキシコなどでライブ活動は行っていたと言うが、60年代を通じて表舞台には殆ど出てきていない。66年にTV番組THE!!!! BEATのバックバンドのメンバーとなり、フレディ・キング他のアーティストと演奏しているが、これが一番目立った活動だろうか。

そんなゲイトが再び注目を集めるようになったのは、70年代に入ってから。ヨーロッパのブルース・ファンに注目を浴び、初のヨーロッパ・ツアーをする。72年にフランスのブラック&ブルーからアルバム・デビュー作となる「The Blues Ain't Nothing」をリリース。以後、同レーベルと同じくフランスのバークレイにレコーディングを重ねた。ブラック&ブルーのレコーディングは、ミルト・バックナー、アーネット・コブを含むジャズの大御所とのセッションなど、それまでにも増してスウィングしたジャジーなサウンドが特徴、それに対しバークレイではケイジャン、カントリー色を押し出すなど、「自分はブルースマンではない」との主張を実践する音を展開していく。70年代後半になると、本国アメリカでもアルバム・デビューを果たし、徐々に活動が軌道に乗っていく。

ゲイトに2回目のピークが訪れるのが80年代。ラウンダーから81年に発表した「Alright Again!」で広く注目を集め、グラミー賞も受賞。次作「One More Mile」(82年)では、より幅広い音を聴かせ、「アメリカン・ミュージックのゲイト」を印象づけた。(94年の「The Man」、2001年の「Back To Bogalusa」もこのアルバムのコンセプトの延長線にある快作だ。)これ以降、彼の活動は更に勢いづく。メジャーのヴァーヴと契約した90年代以降は、バンドのメンバーも固定し、バンドと一体化したゲイト・サウンドを追求していく。晩年は肺気腫、肺がんに冒され、しばしばツアーをキャンセルしながらも、演奏活動は亡くなる寸前まで続けた。

70年代よりルイジアナ州スライデル(ニューオリンズ郊外)に自宅を構えていたゲイト。2005年8月、ハリケーン・カトリーナから避難し、テキサス州オレンジの姪宅へ向かうが、ここで9月10日、81歳の最期を遂げた。ハリケーン直撃前に脱出し難を逃れたものの、彼の自宅は全壊してしまい、その衝撃が病で弱っていた彼の死期を早めてしまったのかも知れない。

来日は1978年(ボビー・ブランドとのジョイント)、1986年(単独公演)、1995年(ジョー・ルイス・ウォーカーとのジョイント)、1999年(ブルース・カーニバル)、2003年(パークタワー・フェス)と5回を数える。特に86年の来日時のインタビューで、インタビューワーの吾妻光良氏相手に烈火のごとく怒ったのは有名で(ブルースの話題に嫌気がさしたらしい; ブラックミュージックリヴュー誌86年7月号掲載)、いまや日本のブルースファンの間では伝説となっている。

Photography by Robert Barclay. Concerted Efforts Inc.








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