メンフィスのハイ・サウンドを生み出した
伝説的なロイヤル・スタジオを経営するプロデューサー
Lawrence "Boo" Mitchell
ローレンス“ブー”ミッチェル・インタビュー


インタビュー・文:陶守正寛
-Tues., June 20, 2017-

Take Me To The River
映画"Take Me To The River"
(邦題:約束の地、メンフィス
〜テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー〜)


2017年6月17日、新宿で映画「約束の地、メンフィス 〜テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー〜」が封切られた。メンフィスの音楽の魅力をミュージシャンたちのセッションを通じて描き出したマーティン・ショア監督によるドキュメンタリー映画だ。

この映画の中で多くのセッションが展開されたのが伝説のロイヤル・スタジオだった。1957年から60年の長きに渡りメンフィスのシーンを支えてきたこの場所ではアル・グリーンを始め多くのアーティストの名作が生まれた。

今回、このスタジオ経営者であり、映画の中でプロデューサー、エンジニアとして活躍するローレンス“ブー”ミッチェルが映画のプロモーションのため、来日をした。1971年生まれ、現在46歳の彼は、ロイヤル・スタジオの前オーナー、ウィリー・ミッチェルの息子であり、幼少期からメンフィスのシーンを肌で感じながら歩んできた。

彼の宿泊先のホテルで話を聞く事ができた。メンフィスのシーンを熟知する彼の話は一言一言にメンフィスへの愛が感じられ、面白い逸話であふれていた。では、そのインタビューをどうぞ!


こうして映画プロジェクトは始まった...

Boo Mitchell− この映画の話はどのように出て来たのでしょうか?
Boo Mitchell(以下Boo)「監督のマーティン・ショアから始まったんだと思う。音楽がどこから来ているのかを人々に伝えようと彼がある日ひらめいたんだよ。彼は(ノース・ミシシッピ・オールスターズの)コディ・ディッキンソンと親しくて、コディの父親のジム・ディッキンソンはマーティンの師の一人だったんだ。マーティンのアイデアはまず音楽の源流を伝えるCDを作ることだった。しかし、まだ彼が何もしないうちにジム・ディッキンソンが亡くなってしまい、ウィリー・ミッチェルも亡くなったんだよ。それをきっかけに彼はアクションを起こし、ミュージシャンたちが存命なうちに記録を残さねばとドキュメンタリーの制作に動き出したという訳だよ。と同時に若い世代に音楽のルーツを示し、世代のギャップを埋めようと試みたんだ。僕は、映画の制作が始まってから半年ほどたった頃、多分2つ目のセッションのあとくらいからこのプロジェクトに関わったんだよ。」

− 映画の制作が始まったのはいつ頃ですか?
Boo「2011年だね」

− やはり、そんなに前から作っていたのですね。何年も前に亡くなったヒューバート・サムリン(2011年死去)やスキップ・ピッツ(2012年死去)といった人が登場するので気になっていたんですよ。貴重な映像ですね。
Boo「彼らのような人たちを記録し、そのストーリーを伝えることができたことは幸運だと思っているんだ。スキップは映画の中でもメインのキャラクターとなっているけど、これは意図したことではなかったんだよ。スタジオ入りして、ただレコードを作り、その様子を記録していたにすぎない。すると彼の個性が全開になったんだよね。中心人物になったんだ。彼は紛れもなく素晴らしいミュージシャンで、歴史的なレコーディングに参加してきている。でもほとんどの人は彼のことを知らないから、その存在を世界に示すことができてよかったと思っているよ。」

− 彼は映画の中で本当に元気なので亡くなったことが信じられない思いですよ。
Charles Skip PittsBoo「うん、非常に悲しいことだよ。奇妙なことに、スキップとセッションをやっていたとき、彼は背中の痛みを訴えていたんだ。背中が痛むから明日医者に行って検査してもらうよ、ってね。それが彼の最後のセッションになってしまったんだけどね。彼が翌日病院に行ったら、そのまま入院になってしまったんだ。彼はステージIVのガンだったんだよ。ガンが骨や背中に広がっていたんで、背中が痛かったという訳だよ。本当に悲しいよ。でも、彼の姿を記録し彼のレガシーとして世界に見せることができたことは嬉しく思っているんだよ。」

− この映画にはたくさんのレガシーが記録されていますよね。
Boo「そうだよ!たくさんの人たちとたくさんの音楽が詰まっている。メンフィスには多くの歴史と音楽があるし、まだ元気で活躍している人もたくさんいる。ボビー・ラッシュやウィリアム・ベルとかね。あとは、映画には登場しないけどカーラ・トーマスも健在だよ。」

− アン・ピーブルズはどうですか?
Boo「彼女はまだ生きているけど、何年か前に脳卒中に見舞われてね。言語障害が残ってしまったんだ。つまりは歌うこともできないんだよ。」

− ということは復活は難しいということですかね?
Boo「奇跡が起こって彼女がしゃべれるようにならない限りはね。」

− 誰が映画に登場するアーティストを決めたのでしょうか?
Boo「僕が担当したセッションのアーティストは、だいたいは僕が選んだと言っていいかな。でも、自然にこうなったと言った方がいいかも知れない。色々な組み合わせを試そうとしたんだけど、人によって都合が悪かったり、あまり乗り気でなかったりしてね。だから、結局やる気があって都合がつく人たちで実行して行ったんだよね。当初僕がボビー・ラッシュを選んだとき、別のメンフィスのラッパーと組み合わせようとしたんだけど、その人は前向きではなくてね。で、僕が娘と昼食を取っていたとき、ふと思ったんだ『ちょっと待てよ。フレイザー・ボーイはどうだ?彼はオスカーも受賞しているし』ってね。で僕は姉に電話して『フレイザー・ボーイの連絡先知ってる?』って。そこからはトントン拍子だったよ。」

Boo「スヌープ・ドッグと共演させようとしたのも当初は別の大物アーティストだったんだ。でも確約が取れなくてね。いいともダメとも返事をしてもらえなかったんだ。そんなとき、マーティンがスヌープにウィリアム・ベルとレコーディングをしたことを話したら、スヌープは『何?ウィリアム・ベルだって!?彼は僕の大好きなアーティストだよ』って乗り出してきたんだ(笑)。まさか、思いもよらなかったね。」

− この映画に出てくるラップ・アーティストとベテランのソウルやブルース・アーティストの組み合わせは興味深いです。普通あまり接点がない組み合わせですよね?
Boo「これはこの映画の重要な要素なんだ。と言うのも、若い世代に歴史的な音楽の価値を知らせることでもあるし、同時に年配世代にはラップだって音楽なんだということを伝えることでもあるからね。一時的な流行ではなく、アートなんだとね。でも年配の人はそう思っていない人も多いだろう?『ラップだって?あんなのは本物の音楽じゃない』ってね。でも、一緒にセッションしてみて、これも形は違っても立派な音楽だと気付いたと思うよ。これを機にメイヴィス・ステイプルズやウィリアム・ベルを好きになった若い世代もたくさんいるんだよ。」

− この映画では若い世代の音楽はラップが中心ですが、メンフィスの音楽シーンではどうなんでしょうか?
Boo「色々な音楽やバンドがあるよ。スタックス・ミュージック・アカデミーが素晴らしいミュージシャンたちを紹介している。たくさんの才能豊かな若い人たちがいるよ。様々なジャンルのね。新しいガレージ・ロックもあれば、ソウルやR&B、ラップもあるし、若い世代のジャズ・ミュージシャンもいるんだ。」

− そういった他のジャンルのミュージシャンたちもこの映画で検討されたんでしょうか?それとも、当初からラップに絞っていたんでしょうか?
Boo「他のジャンルのミュージシャンもやってみようとは思ったけど、あまりうまくいかなかったんだよ。ミュージシャンの都合もあったしね。あと、映画では全てのセッションを採用しているわけではないのもあるね。映画には9つのセッションが出てくるけど、たぶん実際行ったセッションは15くらいあったと思うよ。」

− その一部はCDに収録されているんですよね?
Boo「うん。僕が最初に関わったセッションはバーケイズと8ボール、MJGとの共演だったんだけど、このセッションはロイヤル・スタジオでの一発目でね。撮影のライティングがよくなかったかなんか技術的な問題で、映像としてしっくりこなかったんだ。でも、曲自体は最高なんだ(笑)。だからCDには入っているよ。」

メンフィスのシーンの将来は明るい!

− メンフィスの音楽シーンは、これからどうなって行くと思いますか?若い世代にバトンは受け継がれていると考えますか?
Boo「バトンは着実に渡されているし、将来は明るいと思うよ。僕は3日ほど前にスタックスの子供たちをレコーディングしたばかりなんだけど、レスポール・プログラムという毎年開催しているコンテストがあってね。」

− ギターのコンテストなんですか?
Boo「いや、音楽のコンテストだよ。若いミュージシャンたちをいくつかのグループに分けて、それぞれが課題曲を決めて演奏するんだ。それまでやったことがない曲を3日くらいで仕上げるんだよ。で勝者はスタジオでレコーディングができる。僕は彼らの一部をレコーディングしたんだ。彼らの才能は素晴らしいものがある。15歳くらいの子供たちながら、驚くべき演奏をするんだよ。」

− 彼らの演奏には新しい要素もありますか?
Boo「もちろん!彼らは自分なりの解釈でやっているからね。過去の伝統に敬意を払いながらも、独自の要素を持っているんだ。」

North Mississippi AllstarsBoo「僕はちょうどノース・ミシシッピ・オールスターズをレコーディングしたところなんだけど、ビルボードのブルース・チャートの一位を獲得したんだよ。ちょうど今日のことなんだけど(笑)。」(新譜CD「Prayer for Peace」)

− あ、もうリリースされていたんですか?
「うん。6月2日にリリースされたんだったと思うよ。2週間ほど前だね。」

− (オールスターズの)ディッキンソン兄弟は映画の中でも大きな役割を果たしていますが、彼らとは付き合いは長いのですか?
Boo「結構前から知っているよ。一緒に仕事をしたのはコディの方が先で、2009年だったかな?それから僕らは親しい友人になったんだ。(彼らの父親の)ジム・ディッキンソンと(僕の父の)ウィリー・ミッチェルも親友だったんだよね。だから僕らは小さい頃から何となくお互い知っている感じだったんだ。で、やっと一緒に仕事ができて、そこから付き合いが始まり、以来いくつかのプロジェクトを一緒にやったね。」

− 音楽の趣味は合うのですか?
Boo「彼らの音楽はヒルカントリーだ。ちょっと普通のブルースとは違うんだよね。より尖っていて、芯があるブルースという感じかな。僕は、音楽には2つのタイプしかないと思うんだ。いい音楽か、悪い音楽かそれだけだよ。いい音楽であれば、ヒルカントリーだろうが、ロックだろうが、何だろうが僕は気にしないよ。いいものはいいんだ。僕はAC/DCからリック・ジェイムズまで色々聴いて育ったんだよ(笑)。人種なんて関係ないさ。」

− あなたの周りの人たちはどうですか?
Boo「それはわからないな。僕と同じだといいけど(笑)。」

幼少期の思い出と父ウィリー・ミッチェルのこと

− 公民権運動以降、アメリカは人種間の融和の方向に動いてきたと思います。
Boo「そうだね。メンフィスの音楽をいいものにした要因の一つは、人種間の分断がなかったことじゃないかな。黒人と白人が混ざり合う集会が許されていなかった公民権運動の真っ最中でさえも、ミュージシャンたちは一緒に活動していたんだよ。40年代、50年代からね。僕の父のレコーディングやバンドには、いつも白人も黒人も参加していたんだ。メンフィスの音楽の特徴は、特定の人たちに向けて作られたものではないところだ。僕らは感じたままに表現しているんだ。作るときに、これは白人が喜ぶだろうとか、そういうことは言わないよ。心の底から出てくるものだから、それを表現するだけなんだよ。それがメンフィスの音楽を特別なものにしているんじゃないかな。リアルなんだよ。感じたことを表現するんだ。」

− あなたのその考え方は父親譲りなんでしょうかね。
Boo「うん、もちろんそうだね(笑)。でも人とは違っていたいという気持ちもあるんだよ。父はいつも他とは違う音を追求していたんだ。彼はモータウンのような音でもCBSのような音でもない、他とは違うものを目指していた。人がそれを聴いたら、あ、ウィリー・ミッチェルの音楽だね、言うようなものをね。」

− 父親の後を継ごうと心に決めたのはいつ頃のことでしょうか?
Boo「多分9歳の頃じゃないかな?(笑)」

− そんなに幼い頃からですか?
Boo「(笑)うん。当時は何をしたわけでもなかったけどね。」

− でも、小さい頃からスタジオで有名ミュージシャンたちを見て育ったんですよね?
Boo「そう、いつもだよ。僕は、そう言う経験は大好きだった。いつだって興奮したさ。そのうちキーボードを弾くようになって、ティーンエイジャーになるとラッパーになったんだよ。3、4年やったかな?それからプロデュースやエンジニアリングをするようになったんだ。」

− 小さい頃のミュージシャンたちとの交流で何か面白い逸話はありますか?
Boo「テンプテーションズは、メンフィスに来るとよく我が家に寄って一緒に夕食を食べたものさ。一緒にいい時間を過ごしたよ。その日が誰かの誕生日だったりすると、ハッピー・バースデーを歌ってくれたりもした。凄いだろ、テンプテーションズが歌うハッピー・バースデーだよ(笑)。ドゥービー・ブラザーズも来たよ。父は、彼らをカフェテリア・スタイルのレストランに連れて行ったんだ。あまり他の人は行かないような安いところだったけど、父がお気に入りだったからね。そんな場所にドゥービー・ブラザーズと行ったんだぜ(笑)。アル・グリーンも家に来たし、アン・ピーブルズもね。オーティス・クレイもだよ。彼らは僕らの家族のようだったよ。」

− スタジオで会うのにとどまらなかったんですね?
Boo「うん、一緒にいい時間を過ごしたんだ。アイザック・ヘイズもね。幸運なことだと感じているよ。」

− メンフィスには、ハイ、スタックス、サンなど個性的なレーベルがたくさんありました。。。
Boo「そうそう!(サン・レコードの)サム・フィリップスは父の家の向かいに住んでいたんだ。2人とも亡くなってしまったけど、家はまだあるよ。40年くらい変わらずにね(笑)。」

− 歴史的なレーベルの多くは姿を消してしまいましたが、ロイヤル・スタジオはまだ健在です。長年に渡って生き残れた理由は何だと思いますか?
Boo「それはわからないな。でも父はスタジオに大きな情熱を注いでいたんだよ。彼がデザインもしたからね。彼はそこでスタッフとして働くことからはじまり、パートナーとして経営に関わり、最終的にはオーナーになったんだけど、彼はこのスタジオをずっとミュージアムなどではなく、スタジオとして存続させることを望んでいたんだ。だからこそ、彼が亡くなってからは、僕はスタジオを続けていくことができるように、一層一所懸命働くようになったんだよ。」

− 彼が亡くなったとき、あなたがその後を引き継いだのは自然な成り行きだったんですか?
Boo「そう思うよ。その日のために彼は僕に準備をさせてくれたからね。彼は僕にとって最良の友のような存在だったんだよ。彼の人生の最後の10年間くらいは毎日僕は彼を仕事場まで送り迎えした。僕らはいつも一緒だったんだ。僕は彼にいつも質問していたよ。これはどうやるの?あれは?ってね。彼は僕にとってヒーローだったからね。僕は今も彼が生きているという気持ちでスタジオを経営しているよ。彼が誇りに思うようにね。」

− スタジオは以前と比べて変わりましたか?あるいは昔のままなのでしょうか?
Boo「1969年に彼が改装してからは、基本的に変わっていないよ。事務所とかは修繕はしたけど、スタジオ自体は、そこに入ると今でも歴史の1ページに入って行くような感じだよ。今でもモジョ(魔力)が残っているんだよ。マーク・ロンソンがうまく説明してくれたよ。ロイヤル・スタジオには女神がいる、ここに来ると音楽をプレイしたくなるんだってね(笑)。人々にインスピレーションを与えてくれる、そんな場なんだよね。ジョン・メイヤーがある曲にホーン・セクションを入れるためにやって来たんだけど、来てみたら、ヴォーカルもやっていいかな?ここにオルガンも入れたいんだけど、なんて言うんだ(笑)。あの場所には人に影響を与える魔法があるんだと思う。魂が宿っている感じだね。」

Boo Mitchell

メンフィスはインスピレーションを与えてくれる街だ

− メンフィスは世界有数の音楽の都として知られていますが、何が他とは違うんだと思いますか?
Boo「メンフィスには創造的なエネルギーがあると思うな。メンフィスは言ってみれば繭のような存在で、その中に入る人にインスピレーションを与えてくれるんだ。歴史的にも長い間そう言う存在だったんじゃないかな。世界のどの都市よりもメンフィスのことを歌った曲が多いんだよ。1,000曲以上のレコーディングがあるんだ。それはこの街に魅力があると言うことなんじゃないかな。ロイヤル・スタジオに魅力があるのと同じで街自体に何かがあるんだよね。」

− もう一つの音楽の都、ニューオーリンズと比べて、メンフィスはどう違うと思いますか?
Boo「ニューオーリンズは歴史ある独特な街だよね。ニューオーリンズはアメリカ初の偉大な音楽の都市で、メンフィスはそれに続く二番目だったということだと思う。奴隷制が廃止された後、ミシシッピ州で小作農だった人たちがビール・ストリートを目指してメンフィスにやって来たんだ。というのもビール・ストリートは、南部の主要な場所で初めて黒人がナイトクラブやレストラン、ホテルや食料品店を所有することができたところだったから、当時の人(黒人たち)にしてみれば自由に一番近い街だったんだよね。」

− しかし、そのビール・ストリートもだいぶ変わってしまったという声をよく聞きますが。
Boo「確かにビール・ストリートは変わったよ。商業化されてしまったんだ。それでも行けばいい音楽を聴くことはできるよ。B.B.キングの店やブルース・シティー・カフェとか、いい音楽はまだまだたくさんあるよ。昔とは違うけどね。時とともに変わって行くのはどこも同じなんではないかな。世界中が変わってしまった。もう1949年ではないからね。」

− この映画に興味を持った人にメッセージをください。

「テイク・ミー・トゥー・ザ・リバーを見に来て、音楽の源流を体験してください。メンフィスとミシシッピデルタから発生した音楽は全てのポピュラー音楽の源流でもあるのです。ロックンロールもR&Bもこの地域の音楽なしではあり得なかったでしょう。メンフィスなしではブリティッシュインヴェージョンもなかったでしょう。だから、あなたの大好きな音楽がどこから来たのか、見に来てくださいね!」


Boo Mitchell and Masahiro Sumori
ブーさんと私

映画"Take Me To The River"(邦題:約束の地、メンフィス 〜テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー〜)は、2017年6月17日より新宿K's cinemaを皮切りに、各地での上映が予定されています。詳しくは公式サイトで:
CURIOUSCOPE映画サイト
ブルース銀座ブログの映画記事

The interview was conducted at Hotel Gracery Shinjuku, June 15, 2017.
Special thanks to Mr. Mike Koshitani & the staff at Curiouscope for the arrangements.








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