サム・マイヤーズ インタビュー(続き)


- 車の運転をしてたことはあるのでしょうか?車は持ってましたか?

サム:車は13台持っていたよ。全て運転してたね。そう、シカゴに住んでたころはね、持ってたのはマーキュリーが2台、年代は2台とも同じさ、51年だよ。で、変な話だけどシカゴからジャクソンへドライブして、それから場合によってはわざわざニューオーリンズまで行って、そこから更に今度は湾岸沿いを走って母親に会いに行ったりしてたよ。

- エルモア(・ジェイムズ)とプレイしてたころは、彼のブルームダスター・カーを運転したこととかもあったのですか?

サム:運転できるだけの視力はあったけどね、運転はしなかったよ。

- では、運転をしなくなったのはいつ頃なんでしょう?

サム: 最後に事故ったときさ。へへへ。えーっとね、69年?いや1971年くらいだったと思うよ。その頃には全く運転しなくなっていたんだ。当時私は、ジャクソンでIndustries for the Blind(盲人の雇用を促進するための団体)に勤めていたんだけどね。そこで、14年くらい働いたよ。当時持っていた車は、ドッジのポラリスだ。以前は勤務先まで自分で往復運転していたけど、運転免許はもってなかった。でも、交通違反のチケットを切られたことは一度もなかったんだ。私は運がいいんだよね。だから、あの頃のグッド・タイムスに感謝しているのさ。だって、当時はよい時代だったと思うよ。後になって厳しくなって、ナンバー・プレートを取得するのも、保険に入るのも運転免許証が必要になったからね。それで、私も運転しなくなったんだけどね。

Sam Myers- 1957年にキング・モーズとプレイしていたんですね。エルモアとはいつ頃から?

サム: そう、その頃はキング・モーズと活動していたよ。話はこうだ。最初頃は、エルモアとはときどき一緒にプレイするって感じだったんだ。当時私は、ジャクソンにいたからね。その前に、シカゴにちょっとだけ住んでたけど。そう、1957年にはキング・モーズとプレイしてた。というのも、エルモアが心臓発作で入院しちゃってね、1年くらい彼は仕事から離れてしまったんだ。その後彼が戻ってきて、それから彼とフルタイムで一緒に演るようになったんだ。58年だったかな、ファイヤー/フューリーのレコーディングを一緒にしたんだよ。キング・モーズとは、エルモアが戻ってきてからもよくプレイしたけど、エルモアとの方が付き合いは長いな。だって、エルモアはシカゴに52年頃やってきて、そのときに初めて一緒に演り出したんだから。55年からは、私は彼とキング・モーズの間を行ったり来たりして仕事をしていた。その頃だよ、57年に"My Love is Here to Stay / Sleeping in the Ground"をレコーディングしたんだ。

- あなたが"Look Over Yonder's Wall"でプレイしたのは知ってますが、他にどのエルモアのセッション/曲に参加しているのでしょうか?

サム:そう、"Look Over Yonder's Wall"のセッションには参加した。あれは、ニューオーリンズだったね。それから沢山のセッションに...ニューヨーク・セッション、それにチェス・セッションも。あと、彼がファイヤーでやった最初のセッションも参加したね。ニューヨークのボビー・ロビンソンのレーベルだね。ファイヤーではやったのはね、"The Sky is crying"と"Held My Baby Last Night"と...それから、"Done Somebody Wrong"に"She Got To Move"、"Stranger Blues"、あと彼のあの曲は何ってったっけ?...そう、"Madison Blues"だ。チェスだったね。ボビー・ロビンソンのところでやったやつは、えーっと..."Crutch And Cane"だ。"Crutch And Cane"はね、エルモアが新しい歌詞を思いつかなくてね。それで、実際には"Look Over Yonder's Wall"をハーモニカ抜きでもう一度演っちゃったんだ。

- あなたがそれを歌っているのを聴いたことがあります。あと"Hand Me Down My Shootin' Iron"も歌ってましたね?

サム:ああ、SRV(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)が演ってたのだよね。(注:多分"Boot Hill"のこと)他の人も演ってるけど。そういう曲、昔あったよ。"Shootin' Iron"ってやつ。

- ロバート・ロックウッドJr.とは、50年代の初めに出会ったのですか?

サム:うん、51年かその前後だね。

- ロバート・ロックウッドJr.と一緒にギグをしたことはありますか?

サム:ああ、何度もね。彼は大物達と沢山プレイしていたよ。リトル・ウォルターとサニー・ボーイのレコードをチェスで作ったのは、実のところ彼とルーサー・タッカーだったんだよ。

- エルモアとウイスキーを密造していたことがあるそうですが?

サム:ミシシッピーにいた頃だね。ジャクソンの郊外の河の土手ののところだ。近くにロス・バーネット貯水池と空港があったよ。河の水門があって、そこら辺に蒸留器を置いてたんだ。臭いは出たけど、バレたことはなかったよ。(サム、ニヤッと笑う)

- アンソン(・ファンダーバーグ)とはどこで出会ったのですか?ジャクソンでしょうか?ジョージ・ストリート・グロサリーズ(ジャクソンのクラブ)ですか?

サム:1982年にジョージ・ストリート・グロサリーズで会ったんだ。彼が(ジャクソンに)やって来たとき、私がそこに住んでいると聞いて会いに来たんだけど、ちょうど私は街にいなくてね。もう一回会いに来たときにはいたんで、彼と私の共通の友人だったピーター・カッシュマンが2人を会わせてくれたんだ。

- アンソンがバンドに参加してほしいと言ってきたときのあなたの印象は?

サム: 悪い気はしなかったよ。彼に以前言ったことをひとつ覚えている。まだ、(彼のバンドに)ダレル・ニューリッシュがいたころのことだ。「君たちのバンドは、いいバンドだな。もし私が君らの為になることが出来るのであれば、やるから言ってくれ。」って言ったんだよ。それで、1986年にダレル・ニューリッシュがバンドを離れたとき、彼(アンソン)が(バンドに入ってほしいと)頼んできたのさ。だから、私はテキサスまで行って、これからここに住むって言ったんだ。13年前のことだよ。

- W.C.ハンディ賞はいくつ受賞されましたか?

サム: 8つだな。えーっとね、そのうちひとつは「Song Of The Year」だったな。ブラックトップだね。

- アンソンと演った曲の中で、あなたが一番気に入っているものはどれでしょう?

サム:"My Love is Here to Stay"だ。

- ジミー・ロジャーズとプレイしたことはありますか?

サム:うん、ジミーがマディーのバンドを離れてから何度かプレイしたよ。マディーといえば、髪形を変えて、サミー・ローホーンが病気になって、妻に先立たれて...。あの頃だったな、彼が白人のミュージシャンを何人も使いだしたのは。リトル・ウォルターがバンドから脱退した頃から、彼のバンドはバラバラになっていったんだ。そうそう。それで、マディーはウォルターを銃で撃たせようとしたんだったな。いや、撃たせようとしたんではなくって、実際に撃たせたんだ。彼の脱退した後に入ったハープ・プレイヤーは、ウォルターのようにプレイしないと、バンドでは長続きしなかった。だって、あの頃はウォルターが入っているおかげでマディーのレコードもヒットしていたようなものだからね。

(注:マディーがリトル・ウォルターを撃たせた?驚くべき証言だが、ハッシュブラウンによると彼も以前に聞いたことがある話だという。彼によると、これは以下のような状況だったようだ:

マディーがとあるクラブでバーのそばにいて、ウォルターがステージに立っていた。そのとき一人の男がマディーを捜してクラブに入ってきて、マディーに向かって、「マディーってやつはどいつだ」と聞いた。というのもその男は、自分の妻がマディーという男と浮気をしていたと聞きつけたからだ。マディーはステージにいるウォルターを指して、「あいつがマディーだ」と言った。その次の瞬間、銃が発砲されたそうだ。

ただ、ハッシュブラウンもこれは「どこかで聞いた伝聞情報」に過ぎず、真意のほどは疑わしいとしている。このときも、サムにこれ以上突っ込んで聞いても、この話に進展があるわけでもない、という判断のもと彼はこの話にはこれ以上踏み込まなかった。よって、以下話題が変わっている。)


- 当時は、どんな機材を使っていたのでしょうか?ハープはアンプまたはPAを通して?

サム:フェンダーのベースマンを使っていたよ。アンプは2つでなくって、1つだけだ。(注::現在も彼は同じものを使っている)アンプがないときも多かったので、そういうときはボーカルのマイクを通してブローしたんだ。DEAL (?)も一度使ったことがある。あれは、レコード・プレイヤーのようだったな。でも、PAのセットが付いてて、コードもあって、アンプにそいつをつなぐといい音が出たんだ。使っているマイクは無定位マイクだ。

- 今日は、インタビューさせてくれて感謝します。次のCDも皆期待していますよ。

サム:ちょうど次のCDのレコーディングが先日終わったばかりなんだ。今度の日曜日にオースティンに行ってオーヴァーダブとミキシングをやるよ。私のことを覚えていてくれるファンがいるのは、私にとって嬉しいことだし、誇りに思うね。みんな、ありがとう。

(1998年10月1日木曜日 ダラスのLakewood Bar and Grillにて)


*Special thanks to Mr. Brian Calway (a.k.a. Hash Brown) for this interview, and for giving us the kind permission to use it for Blues Ginza.


That's What They Want

THAT'S WHAT THEY WANT
(Black Top BT-1140)

  1. Lookin' The World Over
  2. Oh-Oh
  3. The Last Time Around
  4. Mokey Around
  5. That's What They Want
  6. The Dew Is Falling
  7. Mudslide
  8. I Don't Play
  9. I Don't Want You Cutting Off Your Hair
  10. Don't Quit The One You Love For Me
  11. I've Been Dogged By Women
  12. The Meanest Woman
  13. I'm Shakin'

Recorded in Spicewood, Texas, Dec., 1996
Produced By Hammond Scott and Anson Funderburgh

96年録音の現在のところ最新版。マディ・ウォーターズの"Mannish Boy"を連想させるタイトル曲 (5)の迫力もよし、アンソンの得意なテキサス・シャッフル系のノリも格別。B.B.キングの(9)、デルバート・マクリントンの(4)など選曲も多彩。そのためか、サムのハープが全く聴けない曲もあるが、(10)、(11)などのオリジナル曲では、彼らしい味のあるプレイがたっぷり聞けるのでご安心を。深みで聞かせる彼の歌も健在だ。







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