JIMMY WITHERSPOON
1923 - 1997


Jimmy Witherspoonジミー・ウィザースプーンが死んでしまいました。スプーンの愛称で親しまれた彼は、1997年9月18日、就寝中にロサンジェルスの自宅で息を引き取った。死因は特に病気などではなく、自然死だったとか。享年74歳。最期まで元気で活躍していただけに悔やまれる。

スプーンはブルース・シンガーとして知られるが、ジャズ界でも活躍した。彼を説明するならジャズ寄りなブルース・シンガー、またはブルース寄りなジャズ・シンガーとも言えると思う。また、ビッグ・ジョー・ターナーに大きな影響を受けたといわれるそのスタイルは、多分にR&B的でもあった。その共演者の中には、古くからの共演者であるジェイ・マクシャンはもちろんのこと、元アニマルズ、ウォーのエリック・バードン、ヴァン・モリソン、ジェリーマリガン、ロベン・フォードなどのミューシャン達が名を連ねている。

彼の1949年のヒット"Ain't Nobody's Business"は、ビルボードのR&Bチャートで第1位のヒットとなり、その後34週もランクインされ、当時最大のヒット曲として知られるようになった。彼が生前に作ったアルバムの数は200にものぼると言われる。

スプーンは、1923年8月8日、アーカンソー州ガードン生まれ。6歳の頃から教会のクワイヤーで歌ってきた。10代半ばでカリフォルニアに移住したが、歌手としてデビューするのは、大戦中。海軍の商船員としてインドのカルカッタへ行き、テディー・ウェザーフォードの楽団に参加。バンドは、現地のグランド・ホテルで公演し、その演奏は米軍のラジオ放送でも中継された。1944年に帰国したスプーンは、ジェイ・マクシャンのバンドに参加。その頃、同じバンドには若きチャーリー・パーカーもいた。このバンドで、ビッグ・ジョー・ターナー、Tボーン・ウォーカーとの共演を経験している。それから、共演したミュージシャンは、数知れず。日本へは、1964年にカウント・ベイシーと来たほか、1987年にはソロ公演のために来日している。ラスト・アルバムとなったのは、バックにはデューク・ロビラードのバンドが付いた"Spoon's Blues"。8月9日のロサンジェルスのハウス・オブ・ブルースの公演が、彼の最後のステージとなった。このコンサートには、彼の息子のラッキー・ウィザースプーンも登場し、父親のバンドで歌ったそうだ。

本当に訃報続きで心苦しいですが、心からごめい福をお祈りしたいです。僕も何回か彼のライブを観ているけど、ダンディーで堂々とした歌いっぷりに感激しました。元気そうだったのに、残念です。


(9/23/97記)






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