New Orleans Jazz Fest 2006
はじめに

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アメリカ、ルイジアナ州はニューオリンズの巨大な音楽の祭典、ニューオリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル(通称ジャズフェス)に行ってきた。僕にとっては、ニューオリンズは通算5回目、ジャズフェスも今回で4回目だ。馴染みの旅先ではあるが、今回はこれまでと大きく違うことが2つあった。ひとつは、今回初めて2人の子供を連れて出かけたこと。そして、もうひとつはニューオリンズが昨年8月、ハリケーン・カトリーナで被災したことである。

今回のフェスは、お祭り騒ぎ一色だったこれまでとは違い、アーティストも観客も、ニューオリンズ復興の思いを胸に秘めてやって来た人が多かったのではないかと言う気がする。ステージからニューオリンズにエールを贈るアーティストも多かったし、観客も復興のスローガンを書いたTシャツを着ている人が目立った。僕もやはり、今回はジャズフェスに行きたいという以上に被災状況をこの眼で見たいという思いが強かった。

子供がいると、行動の自由度は比較にならないほど落ちる。夜のクラブは殆ど行けなかったし、フェス会場でも子供の都合に振り回されることが多かった。また悩ましいのは、往復の長旅だ。同じアメリカでもハワイや西海岸と比べると、距離も長いし直行便がない分、ざっくり言って倍くらいの時間を要する。下の子はまだ1歳なので「勝手に食事してて!」という訳にもいかず、ずっと面倒を見なければならないので、僕も妻も結構ヘトヘトだ。

寸前になってフライトを予約したからかも知れないが、今回は行きも帰りもやや変わった乗り継ぎをした。行きは成田からまず一気に東海岸のワシントンDCへ。フライト時間は約12時間。そこで6時間待って、ニューオリンズ行きの飛行機に乗った。これは約3時間だが、ジャズフェス前日の便とあって、3人が続きの席を取れないほど混んでいた。皆荷物も多く、頭上の収納はどこもいっぱい。狭いところに無理やり押し込められた状態での3時間。行き帰り含め、これが一番きつかったかも。

帰りは、デンバーとシアトルの2回の乗り継ぎ。どうでもいいが、乗り継ぎ都市計3ヶ所とニューオリンズ、皆時間のゾーンが違い、一回の往復でアメリカ本土の4種類の時間ゾーンを全て押さえるという、初の体験をした。

●ニューオリンズに到着!
4月27日夕方、その飛行機が高度を下げ、着陸体制に入った。窓から外を眺めると、ルイジアナ特有の湿地帯が広がっている。特に変化は見られない。見慣れた光景だ。日本の自宅を出て、ほぼ丸一日を費やしてニューオリンズのルイ・アームストロング国際空港に到着したのは27日の夕方6時。前回2004年に僕がひとりで来たときと同様、今回も滞在先は友人宅。彼らが快く「いつでも遊びにおいで」と言ってくれるので、本当に助かる。

友人に電話をすると、「今空港に向かっているよ」との返事。車で迎えに来てくれた。ありがとう!本当に助かります。特に、子供がいると色々と持ち物が増え、身動きが取れない状態なので、そういう厚意が身にしみてありがたいと感じるのだ。

友人との再会を喜び、車に乗り込んだ。空港周辺の景色も以前と変わらない。ここら辺はニューオリンズの中心からは結構離れており、水没被害は全くなかったようだ。

空港で出迎えるミュージシャン達の絵

目抜き通りキャナルSt.

しかし、ニューオリンズ市に入り、フリーウェイを降りて住宅街に入ると様相が一変する。放置された車の数々、道端には山積みになったゴミ。車は水に浸かって故障したものを住民が放置したもので、街のいたるところで目にした。フリーウェイの高架下などは、さながら駐車場かスクラップヤードのようだ。ゴミは、木片や金属片から家具まで、ぐちゃぐちゃに積まれている。

友人が住宅の外壁を見るように言う。よく見ると、家々には横まっすぐに線が一本入っている。「あれが、水没時の水のラインだよ」と教えてくれた。そこはジャズフェスの会場からそう遠くない地区だ。まだ着いてから間もないのに、ハリケーンの爪あとは探すまでもなく次々と目に飛び込んでくる。

間もなく、外はすっかり暗くなった。夜の街を車で行くと、被害の大きさがよく判る。被害が大きかった地域は、住宅の電気が全く点いていない。よくよく見ると、それらの家屋の多くは、外壁を残して中は家具はおろか内壁もなく、言わば張りぼて状態である。水没した家屋は、腐敗して相当のダメージを受けているため、このように空にするか、さもなくば取り壊さねばならないのだそうだ。

廃墟となった住宅街にところどころトレーラーが停まっている。家を失った住民の多くは、そのような仮設住宅での生活を余儀なくされているという。かつて広場だったり、駐車場だったりしたスペースの多くが、今はトレーラーヤードと化している。

そういうしているうちに宿泊先の友人宅に着いた。この家は、市内でも被害が少なかったガーデン地区にある。それまで見た地域と比べると、人も車も多く、被災の影響はあまり感じない。しかし、ここでさえも、セントチャールズ通り沿いの路面電車がいまだに復旧していないなど、少なからずダメージを受けている。

ジャズフェスは例年どおり開催されると言っても、街が復興したわけではない。当たり前かも知れないが、それを早くも初っ端から実感してしまった。アメリカで類を見ない独特の文化を育んできた美しい街ニューオリンズ。その街がこのような惨状にあるのを目の当たりにし、なんと言っていいのか判らなかった。





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