サム・マイヤーズ インタビュー
 車は13台持っていた。でも、免許は持ったことはなかったよ。


Sam Myersミシシッピー生まれのベテラン・ハーピスト、サミー・マイヤーズの最新のインタビューが届いた。サミーといえば、テキサスのギタリスト、アンソン・ファンダーバーグと活動するようになって久しいが、古くはエルモア・ジェイムズと数々のセッションをこなしていたことでも知られる。そのトーンはサニー・ボーイ・ウィリアムソンやリトル・ウォルターらの流れを組んでいるが、深みのあるトーンの中にも、どことなくほのぼのした雰囲気が漂う独特の音を持っている。初録音となる"Sleeping In The Ground"(57年録音)は、むせび泣くようなハープにどっしりと重みのある歌で、当時弱冠19歳ながら貫録さえ感じる傑作だ。

ミシシッピー州ジャクソンを拠点に、キャリアの大半を過ごしてきたサムだが、1949年にはミシシッピーからシカゴへ移り住み、数年はシカゴで活動していたようだ。また、アンソン・ファンダーバーグと組むようになってからは、拠点をテキサス州ダラスに移している。1986年にアンソンのバンド、ロケッツとのコラボレーションの第一段"My Love Is Here To Stay" (BT-1032)をブラックトップからリリース。以後、アンソンとの共演アルバムは6枚を数える。最新盤となる"That's What They Want" (Black Top BT-1140; 1997年)も好調だ。

このインタビューは、98年10月に地元ダラスで、ハッシュブラウンが行ったものだ。彼は、ダラスのブルース・クラブ・サーキットで活躍するブルース・ギタリストで、地元のアーティストとの交流も広い。サム・マイヤーズともよくセッションで共演しており、彼の友人の一人でもある。因みに、インタビューの質問の多くは、ブルースのメーリングリストBLUES-L上で「サムに訊いてみたい事項」として寄せられたものだ。では、ハッシュブラウンの序説に続いて、インタビューをじっくりお楽しみ下さい!



僕は、まず始めにサムにBLUES-Lについて説明し、ここに参加している沢山の人が彼自身と彼の音楽について関心を持っていることを伝えました。それに対する彼の応えはこうでした、「それは、サム・マイヤーズに興味があるということなのか?サム・マイヤーズとアンソン・ファンダーバーグじゃなくて?」
僕はこう言いました、「そう皆サム・マイヤーズに関心を持っているんです。」と。 彼はニヤッと笑うと、ミシシッピーのディープな声で「わかった」と言いました。

Hash Brown


- 今日はインタビューの時間をもらいありがとうございます。

サム・マイヤーズ(以下「サム」):ああ。

- 生まれはどちらでしょうか?いつですか?

サム:私は、ミシシッピー州ローレルで生まれたんだ。1936年だよ。(注:誕生日は、2月19日)

- ご両親のお名前は?兄弟はいたんですか?もしいたのなら彼らの名前も教えて下さい。

サム:兄がふたりと妹がひとりいるよ。兄のうちのひとりは、ウォーデル・マイヤーズっていうんだが、彼は亡くなった。もう一人の兄はオリー・ジュニアだ。妹の名前はメアリーネルだ。

- ご両親は?

サム:(母親は)セレスト・ジョーンズ、これは彼女の結婚前の名前だ。父親はオリー・マイヤーズっていうんだ。

- 家族の中で楽器をやる人はいますか?

サム:私だけだねぇ。私にはシカゴで生まれた娘がいて、彼女はピアノをやってたこともあるけど、今はもう全然やってないと思うよ。

- あなたが初めて音楽に興味を持ったのは何歳くらいのときですか?

サム:7歳だね。私は当時パイニー・ウッズ・カントリー・ライフ・スクールの生徒だった。(ミシシッピー州の)ジャクソンから南に20マイル(約32キロ)くらいのところにある学校だよ。

- 始めはハープ、ドラムスどちらをやったんでしょうか?それとも歌ですか?

サム:今では、私はハープをプレイしているけど、最初はトランペット・プレイヤーだったんだ。信じられるかな?始めたのは7歳か8歳の頃で、それからドラムスをやりだして、基本的にその2つを平行してやってたんだ、21歳頃まではね。この頃になるとトランペットのことは忘れて、レコードを沢山買い込んで、聴き漁ってね。それで既に音楽のことは判っていたから、耳で音を拾ってね。それにぴったり合うハーモニカを探したんだよ。そうやって自分のスタイルを身に付けていったのさ。多かれ少なかれ、独学だよ。後になってから、リトル・ウォルターやサニー・ボーイ(・ウィリアムソン)、ハウリン・ウルフ、ジミー・リードっといったトップ・プレイヤー達からも学んだけど、私のスタイルが人と違うのは、そういう訳なんだよ。

- 小さいころは教会で歌ったりもしたんでしょうか?

サム:ああ、クワイアー(合唱団)で歌ったよ。カソリックの学校のクワイアーだよ。

- ゴスペルを歌ったんでしょうか?

サム:
そう、ゴスペルだよ。ファイブ・ブラインド・ボーイズとも少々歌っていたよ。その頃彼らはハッピーランド・シンガーズとして知られていたけどね。彼らと少々一緒に歌って、それから沢山いいゴスペルの人たちと出会ってね。それが、ゴスペルの世界に入っていくきっかけとなったんだよ。ブルースと平行してゴスペルも沢山やったね。音楽のタイプは違うけどね。それで、えーっと...ヒューストンのグループともやってたよ、シカゴに引っ越したときにやめたけど。あと、ユニオン・ハーモナイザーズではセシル・シェルという男とも一緒にやってた。レイ・チャールズの奥さんがこのグループに昔いたんだよ。

- 最近リリースになったCD「Tuff Enuff: Ace Bluesmasters Vol. 3」には、あなたがキング・モーズ・ロイヤル・ロッカーズとレコーディングした最初のレコード"My Love is Here to Stay / Sleeping in the Ground"が収録されています。(注:日本盤では、"Sonny Boy And Pals - Mississippi Breakdown: P-Vine PCD-2733 に2曲とも収録されている)このバンドはスタジオのバンドだったのですか?それとも一緒にツアーもしたのでしょうか?

サム:その曲は、1957年にレコーディングしたんだ。書いたのも同じ年だね。で、そう私は当時キング・モーズ&ザ・ロイヤル・ロッカーズとプレイしていたんだ。あのグループのメンバーは、えーっと、ピアノがウォルター・ベリー、ギターはトミー・リー・トンプソン、ウォルター・クロウリーがベースで、キング・モーズがドラムス、それで私がボーカルとハーモニカというメンツだった。ジャクソンのエイス・レーベルのレコーディングだよ、ジョニー・ヴィンセントのね。309 North Ferry Streetっていう住所のマクマレイ・レコーディング・スタジオのところにあったんだけど、今は家具屋になっちゃってるね。

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