New Orleans Jazz Fest 2006
カトリーナ被災、その後

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被災した家

9/24に再開すると書かれたスーパードーム。屋根はボロボロのままだ。

2005年8月29日、ニューオリンズはハリケーン・カトリーナによって街の80%が水没するという試練を経験した。今年のジャズフェスは、それから僅か8ヶ月しか経っていない中で開催された。2006年5月時点で、約48万人いたという人口の半分がようやく戻ったような状態だ。

滞在中、カトリーナの爪あとを毎日のように目の当たりにした。僕が見聞きした範囲のことを書いてみたい。お断りしておかなければならないのは、僕が現地で見聞きしたのは現状のほんの一部であること。できる限り多くを見たかったが、実際行っていない地域の方が遥かに多く、そういうところの状況は伝え聞いたこと以上は判らない。

また、既に僕が現地を訪れてから日がたっており、復興のペースが遅いとは言っても、今現在の状況はもっと改善されている可能性もある。そう願いたい。このレポートはあくまでも、2006年5月時点の状況の一角をお伝えしたものと理解してほしい。


地区ごとの被災状況
実際僕が見た範囲では、街としてある程度機能しているように見えたのはフレンチクオーター周辺とガーデン地区などいわゆるアップタウンと呼ばれる地区だけだった。これらの地域はミシシッピー川に沿った場所に位置しており、市内でも比較的高台だという。これらの地域からポンチャトレイン湖側(北または北西側)に車をちょっと走らせるだけで、周囲の様相は全く変わってくる。湖のそばまでいかなくても、被災の爪あとはいたるところに広がる。

ただ、ハリケーン自体の直撃は逃れているため、被災は主に浸水から来るもののようだ。ところどころ崩れた家屋もあったが、下第9地区などの被害の大きかった地域を除き、多くの建物は原形を留めている。雨風そのものからくる被害は浸水に比べ小規模だ。屋根にブルーシートがかけられていたり、屋根や壁が剥がれていたり、街燈や看板が傾いていたりという光景はどの地域でも多く見かけた。浸水を逃れた地域の住民も、多くが屋根の葺き替え工事など家の修復工事を余儀なくされているそうだ。でも、その程度で済んでいるのはラッキーだという。

・Lower 9th Ward(ロウワー・ナインス・ウォード=下第9地区)

倒壊した家屋

下第9地区隣接の水路の堤防工事は進んでいた

ジャズフェスの谷間の5月4日、キーボード・プレイヤーのジョー・クラウンさんが親切にもこの被災地に連れて行ってくれた。アップタウンで彼と食事をした後、クレイボーン通りを通って、工業水路に架かる橋を渡り、下第9地区に入った。

クレイボーン通りはあのアーニー・ケイドーのラウンジがある通りでラウンジも大きな被害を受けたようだが、通り沿いの家々は、外壁がはがれたり、相当の被害が目に付いた。しかし、下第9地区に入ると、明らかにそれよりも格段に被害の状況が激しかった。目に飛び込んでくるのは、巨大なゴミの山と化した家、土台ごと流され通りにはみ出した家...。ところどころ、作業員の姿が見られたが、人が住んでいる気配は全く見られなかった。ここまで、グシャグシャになってしまった状況をどうやって復旧するのだろうか。そう考えると、気が遠くなりそうだった。この地区は他地区と比べ、住宅の全壊がとても多い。僕は行けなかったが、もう一つの被害が大きかった地域レイクビューでも、全壊した家はそう多くはないと聞いた。下第9地区に全壊した家が多いのは、この地域が貧困地域であり、元から古く、もろい家が多かったからだとも言われている。

一方、下第9地区に隣接する工業水路沿いでは、コンクリートの堤防工事が盛んに行われていた。見たところほぼ完成したように見えた。しかし、この堤防は最大でもカテゴリー3までのハリケーンにしか耐えることが出来ないなどの問題が指摘されている。水路に架かる橋上から見ると、下第9地区が水路よりも低いところにあるのが、よく判った。

・フレンチクオーター
この地域は浸水していないので被害は細かいレベルに留まる。ジャズフェス期間中は多くの観光客でごった返し、以前の活気を取り戻しているようにも見えた。ただ、よく見ると閉まったままの店も少なくない。キャナル通り沿いのモール、キャナル・プレイスも最近やっと再開したばかりのようで、モール自体は再開しても、個々の店は開いていないものの方が多かった。同じくキャナル通りのリッツ・カールトン・ホテルは営業しておらず、外壁の全面工事を行っていた。これもカトリーナの被災と関係があるのかも知れない。

・アップタウン
この地区は殆ど浸水しておらず、住民はかなり戻ってきている。店も多くが再開しており、活気を取り戻しているように感じた。他の地域で被災した住民もこの地域に移住してきている現状もあるようで、以前より人口は過密になっているのかも知れない。ティピティーナス、ボントン・ルーレなど、この地域にあるライブハウスの多くは難を逃れ、営業を再開している。

・ミッドシティー
その名の通りニューオリンズの中心に位置する地域だが、浸水によりかなりダメージを受けているようだった。住宅地もあまりひとけがない。有名なライブハウス、ロックンボールはかろうじて営業していたが、それはこのハコが2階にあって浸水を逃れたから。1階の別ステージは閉鎖されていた。2階部分も中に入ってよく見ると天井がボコボコになっているなどそれなりにダメージは受けている模様。同じ建物一階には古着屋などのお店があったが、どの店もからっぽになりフェンスが張られていた。ここから近いウルトラソニック・スタジオも浸水で被害を受け、再開は絶望的という。

ロックンボールの1階の店舗の跡

キャナル通り沿いではフリーコンサートも開催され多くの人で賑わっていた


街の空気
アーロン・ネヴィルが喘息のため、空気の悪いニューオリンズには戻れないとしてジャズフェスに出演せず、ニューオリンズの空気汚染が話題になった。浸水によるカビの胞子、建物の倒壊から来る埃などが飛散して空気が汚染されているというが、僕は特に異変は感じなかった。特段空気がきれいと感じたわけではないが、以前と比べて悪くなっているようにも感じなかった。でも、感じ方には個人差があるのだろうと思う。因みに僕は花粉症でハウスダストにもアレルギーがあり、空気が悪いと鼻の調子が悪くなることも多いが、ニューオリンズでは特に変化はなかった。


住宅
浸水した地域の住宅には、壁面に泥の汚れのような横一直線が入っているのをあちこちで見かけた。浸水してから数週間は、そのままの状態で放置されたため、浸水した位置が線となって残っているのだ。但し、被害の大きかった下第9地区の建物にはそのような線は見られなかった。「浸水ラインが屋根より高かったからだよ」と連れて行ってくれたジョーさんが教えてくれた。むごすぎる!

浸水ラインが見える建物

チェック済を示すスプレーペイントの文字

浸水した家屋は家財など中身が腐ってしまい、衛生的にも危険なため、中身を空にする(gutt)か、取り壊すかのいずれかが強制的に行われている。「空にする」というのは、単に家財道具を運び出すという意味ではなく、壁も窓も全部ぶち抜いて張りぼて状態にすることのようだ。その作業が終わった家は、まるで映画のセットのように外壁だけを残して建っていた。

・スプレーペイントによるマーキング
被災地の建物のドア、壁には、ハリケーン直後パトロール隊がチェックしたことを示すスプレーペイントによるマーキングがされた。住民が戻ってきていない家などは未だにそのマーキングが放置されているのを多く見かけた。マーキングはバツ印に、その4方にチェックした隊、日付、人や動物が見つかったか否かがコードで書き込まれている。


放置自動車
浸水で多くの自動車がだめになってしまい、廃車にすることもなく放置されているものがとても目立つ。フリーウェイの高架下などは汚れた車がひしめき合っていて、駐車場かスクラップヤードのようでもある。これらの車はいったい誰が片付けるのだろうか。また、それにいったいいくらの費用がかかるのだろうか。この点ひとつだけでも、解決の道のりは遠いように思えた。


トレーラー
人口の約半数が街に戻ってきていると言われるが、それは住宅街の半分が復興したことを意味しない。戻ってきた住民で、自宅に被害を受けた人は、被害が少ない地区に引っ越したか、もしくはトレーラーハウスの仮設住宅で生活している人が多いようだ。トレーラーハウスの多くはFEMA(米連邦緊急事態管理庁)が提供しており、住宅街のちょっとした広場、空き地、駐車場なども、トレーラーパークに変わっているところが多かった。住宅のドライブウェイにもトレーラーハウスを多く見かけた。今のニューオリンズではトレーラーハウスの存在が当たり前のようになっている。戻ってきている人口の背景には、その存在が大きいのである。

トレーラーハウスを除くと、住める地域は限られているため、市民の多くはアップタウン周辺に集中している。なので、住民は少なくても以前のように散らばっていないため、通勤時などは以前より激しい渋滞が起きるという。


公共交通機関
市内を走る公共交通機関(バスと路面電車)は、FEMAの支援を受け、被災後原則的に全て無料化された。乗車に当たって特に市民である証明書が必要なわけではなく、観光客も無料で乗れるのでありがたい。ただ、無料化は期限付きで、FEMAの支援終了とともに2006年8月7日から有料に戻る予定。

・バス
前述の通り、通常ルートは全て無料で乗ることができる。ただ、ジャズフェス期間中は、ジャズフェス用にいくつか別途ルートが用意されていたが、これについてはFEMA支援の対象外となり、有料で運行していたようだ。(僕は使用しなかったので、未確認)

FEMA支援打ち切り後は、人口が激減している市の状況から、従来のルート全てを維持するのは難しいと見られ、廃止ルートが出る恐れが指摘されている。僕は、セントチャールズ通りとマガジン通りの2ルートを利用した。セントチャールズ通りは比較的頻繁(10分間隔くらい)に来るが、マガジン通りは、1時間にせいぜい2本しか来ないので、30分待たされることもあった。バス停に時刻表はないので、乗りたければひたすら待つしかない。我慢ができなければタクシーを。でも、ジャズフェス期間中はタクシーもなかなか来ないときもあったが。

・ストリートカー(路面電車)
米国史上もっとも古い路面電車、セントチャールズ線(1835年に開通)は列車自体は難を逃れたものの、電線やレールに大きな被害を受け、まだ復旧していなかった。通り沿いでは、レールの引き直し工事の光景が見られた。僕の宿泊先のそばでも、しばらく使っていないせいか、路面電車のレールは半分土に埋まっているような状態だった。復旧は、早くても2006年秋以降になるそうだ。その代わりに応急措置として同じルートをバスが走っていた。これも、もちろん無料だ。

一方、キャナル通りの路面電車は、2004年4月、40年間の空白期を経て鳴り物入りで復活した線だが、新しくピカピカだった赤い列車は、浸水で故障し使えなくなってしまった。代わりに、セントチャールズ線用の古い列車が使われていた。列車の表示板に「St. Charles」と表示されたままの運行に、応急措置らしさが感じられた。

ダウンタウンをミシシッピー川沿いに(コンベンション・センターからフレンチ・マーケットまで)走るリバーフロント線は、青い新しめの車両で運行していた。しかし時間帯によるのかもしれないが、僕が乗ったとき(ジャズフェス谷間の平日昼間)は非常にすいていて、しばしば貸切状態になってしまった。沿線のモール、リバーウォークでも閉まったままの店が多く、以前と比べて物寂しい雰囲気が漂っていたのは否めなかった。週末もリバーウォークにはあまり人は戻っていないという。


ボランティア
カトリーナ・クルー(The Katrina Krewe)という街を清掃するボランティアが活動している。これは、定期的に日時、集合場所を決めて清掃への参加者を募るもので、現地に自力で行ける人ならば誰でも参加できる。もちろん労賃も交通費も出ない。次回の集合場所は、メルマガ、ウェブ上で発表される。ジャズフェス期間中も清掃作業は行われていた。僕も行きたかったのだが、スケジュール上難しく断念した。悔いが残る。ウェブサイト上では、これまでの活動報告などを見ることができる。
ウェブサイト http://www.cleanno.org/


カトリーナTシャツ
フレンチクオーターのタワー・レコードでは、"renew orleans"、"New Orleans - Bent But Not Broken"のスローガンが書かれたTシャツが売られていたが、これらは収益金が被災者へ寄付されるとしているチャリティーもの。
土産物屋では、もっと多様なデザインのカトリーナTシャツやグッズが売られているが、殆どはチャリティーものではない。カトリーナをネタにしたギャグが書かれているものが多く、被災すらもネタに商売をする商魂の逞しさが見て取れる。
http://www.indiemerchstore.com/bentnotbroken
http://reneworleans.net/


国際空港
ハリケーン直後は閉鎖され、臨時の医療施設にもなったというニューオリンズの空の玄関、ルイ・アームストロング国際空港。この空港自体はニューオリンズの西方約15キロ程度離れたところにあり、建物に被害を受けた様子は見られなかった。空港周辺の景色も以前と同様に見えた。さほど大きな空港ではないため、主要空港のような混雑した雰囲気は見られないがそれは以前からのこと。何もなかったかのように以前と同じ落ち着いた雰囲気だった。


営業許可
被災後は衛生状態が悪化したため、レストランなどは再開するに当たり州政府公衆衛生局から許可を受けるなければならなかった。レストランの入口に許可証が貼ってあるのをよく見かけた。


Back In Business!
被災後閉店していた店が徐々に再開している。ジャズフェスにあわせて再開した店も多いのだろう。街には"We Are Back"などの再開を知らせるサインをよく見かけた。

Cafe Du Monde

Rock N' Bowl


今も無残な姿をさらすニューオリンズ市内だが、これでも人々が戻り始めた昨年の秋口から比べればだいぶ状況は改善されているという。当時の様子を知る地元の人に話を聞くと、戻った当初、一番ひどかったのは食品などの腐敗臭だったそうだ。電気も止まり、浸水で多くの食品や家財道具が腐ってしまい、戻ってきた住民は、それをまず通りに出した。それがいたるところに放置された状態で、息ができないほどの臭気立ち込めていたのだという。それがなくなっただけでも、今はましとの声が聞かれた。





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