2014/6/14
ヒューイ・"ピアノ"・スミスの伝記本 ニューオーリンズ

「HUEY “PIANO” SMITH
AND THE ROCKING PNEUMONIA BLUES」
著者:JOHN WIRT
出版社:Louisiana State University Press
ISBN 978-0-8071-5295-9
294ページ(本編243ページ+注釈+出典一覧+索引)
写真はモノクロで8ページ
ニューオーリンズのピアノ・プレイヤー、ヒューイ・"ピアノ"・スミスの伝記本が、アメリカの出版社から発売になりました。英語の書ではありますが、その意義の大きさを考え、紹介してみたいと思います。
この人がいなかったら、ロックンロールの歴史は大きく変わっていたかもしれません。”Rocking Pneumonia And The Boogie Woogie Flu"、"Don't You Just Know It"、"Tu-Ber-Cu-Lucas And Sinus Blues"、"High Blood Pressure"など、1950年代から60年代にかけてエイス・レコードからヒューイ・"ピアノ"・スミス&ザ・クラウンズ名義でリリースした作品の数々は、頭を空っぽにして楽しめる真のパーティー・ミュージック。彼はプロフェッサー・ロングヘアやDr.ジョン、ファッツ・ドミノと並び、ニューオーリンズのR&Bの基礎を作った一人です。
しかし、その功績の割には彼の事は充分知られているとは言えません。彼は今年80歳、ルイジアナ州の州都バトンルージュに暮らしていますが、彼が存命なことを知らないファンもいるのかも。それも無理はありません。1970年代以降は活動はめっきり減ってますし、1980年代以降は、殆ど公の場に姿を見せていないのですから。本書は、彼が表舞台から姿を消してしまったあとのことも含めて彼の軌跡を記しています。彼の人となりがわかるエピソード満載で、そうだったのか!と幾度となく頷き、夢中になって読みました。
僕が彼の存在を初めて知ったのは、Dr.ジョンのアルバム「ガンボ」で楽曲が取り上げられているのを聴いてのことでした。本書には、Dr.ジョンがヒューイをいかに尊敬しているかを示す彼のコメントやエピソードも紹介されています。中でも、ヒューイの旧知の友、アール・キングが亡くなった際、ヒューイに葬儀に出席してもらいたくて、Dr.ジョンが彼にコンタクトを取ろうと何度も試みたという話は心を打たれました。しかし、結局連絡はつかず、ヒューイは葬儀には出られませんでした。というのも、その数日前にヒューイの姉のオードリーが亡くなり、家を空けていたんだそうです。
他にもヒューイのヒット曲"Don't You Just Know It"(「知らないのか?」というような意味)は、クラウンズの運転手をしていたルディ・レイ・ムーア(のちにドールマイトというキャラクターのコメディアンとして人気が出た人)の口癖をヒューイが頂いたものであるとか、幼少期のヒューイが隣り近所に苦情を言われつつ、ピアノを練習していたら、その様子を窓の外から眺めていた3歳児が後のクラウンズの歌い手となるカーリー・ムーアだったとか、へぇと思う事がたくさん。カーリーは惜しくも若くして亡くなっていますが、どういう人だったのかについてもかなり書かれています。
そして、後半の1980年以降の話ですが、これは読んでいて非常に辛い内容でした。1988年から10年以上の長きに渡り、ヒューイは、ロイヤルティを巡り裁判で争っていたのです。
彼はクラウンズで数多くのヒット曲を生み出したにも関わらず、エイスのジョニー・ヴィンセントは殆どまともにロイヤルティを支払いませんでした。ヒューイの曲のCDが再発されようと、映画で使われようと、彼が潤うことは殆どなかったといいます。ヒューイは、ロイヤルティ回収の請け負い業者(Artists Rights Enforcement Corporation)と契約し、彼らに一縷の望みを託すのですが、味方となるはずの彼らは期待したロイヤルティの回収は満足にせず、逆に法外なコミッションをむしり取る結果に。ヒューイが彼らをクビにすると、彼らはヒューイを裁判で訴え、2000年、最終的にヒューイの敗訴という形で裁判は終焉を迎えます。
彼は、もう裁判に疲れてしまい、本来得られているはずの莫大なロイヤルティを見ることなく、諦めてしまったのです。そして最終的に破産宣告を受けるまでに。彼が養育していた孫の学費が支払えなくなり、彼女は退学を余儀なくされたそうです。2000年9月にヒューイは、ロックンロール・パイオニア・アワードの授賞式のためにニューヨークに呼ばれ、久々に人前で演奏を披露することになるのですが、彼はピアノも質屋に取られており、練習も満足に出来なかったというのです。
彼のような偉大な人の結末としてはあまりにも悲しい現実でした。しかし、そんな逆境に遭いながらも、ヒューイは、エホバの証人の信仰を持ち続け、今日も穏やかに暮らしているそうです。
この本を書いたのはバトンルージュの新聞The Advocateの現役ライター、ジョン・ワート。彼は、ヒューイのロックンロール・パイオニア・アワード受賞を機にヒューイに会い、そこから伝記本の話が膨らんで行きました。本業の合間にこの本の取材と執筆を行っていたため、出版までに足掛け10年以上もかかっていますが、その間非常に多くのインタビュー取材が行われ、内容的には濃いものになっていると思います。タイムズ・ピカユーンを始め、地元のメディアからの引用も多く、相当念入りに調べているのが窺えます。長い年月は無駄ではなかったということですね。裁判について書かれた部分は、証人の発言や判決内容が詳しく書かれています。裁判所の資料の閲覧を重ねた結果なのでしょう。
これだけの力作なので、音楽ファンには幅広く読んでほしいですね。どこかで和訳版の出版してくれないかなぁ。
