2022/2/22

追悼Syl Johnson 1936-2022  ブルース

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Syl Johnson at the New Orleans Jazz & Heritage Festival
House of Blues Stage, May 3, 1997
(c)Photo by Masahiro Sumori

シル・ジョンソンが亡くなってしまいました。2月6日、ジョージア州メイブルトンの娘さん宅でのことだそうです。死因はうっ血性心不全、85歳でした。

1月31日に8歳年上の兄、ジミー・ジョンソンが亡くなったばかりでしたので、間違いかと思ってしまいました。そうではなかったです。残念、悲しいです。

シカゴを拠点としていたシルがなぜ遠く離れた娘さん宅にいたのでしょうか。ただ偶然遊びに行っていただけかも知れないですが、具合が悪かったからという可能性もありますね。

生まれはミシシッピですが、1950年ごろ一家でシカゴに移住したシル。1950年代からハウリン・ウルフやジミー・リード、マジック・サムらと共演を重ね、シカゴのブルース・シーンで活動しましたが、ソロ・アーティストとして花開いたのはファンキーなソウル色を打ち出した1960年代後半に入ってからでした。代表曲となる” Come On Sock It To Me”、”Different Strokes”などをリリースし、乗りに乗っていたものの、彼自身は当時在籍していたトワイナイト・レーベルの待遇に不満を持ち、1970年代に入るとメンフィスのハイに移籍します。ハイでは”Back For A Taste of Your Love”、”Any Way The Wind Blows”などの楽曲をリリース。レーベルの顔のひとりとなりました。



特にアル・グリーンの持ち曲として有名な”Take Me To The River”はもともとシルのために書かれた曲であるというのはよく知られた話です。

しかし、シルはハイでも冷遇されていると感じていたようです。アル・グリーンばかりひいきにして自分には力を入れてくれていなかったと、シルはインタビューで繰り返し述べています。

70年代後半になるとディスコ・ブームの到来とともに彼の人気にも陰りが出てきたことから半ば音楽活動は休止し、外食ビジネスに乗り出します。今はもうないですが、彼の経営した魚料理のレストラン「Solomon’s」はシカゴを中心にチェーン展開する勢いだったそうです。



状況が一転したのは1990年代に入ってから。彼の楽曲をウータン・クラン、ジェイZ、ゲットー・ボーイズ、サイプレス・ヒルなどラッパー達がこぞってサンプリングし出したことで再び注目を浴びるようになったのです。

1994年にハイ・リズムと組んでデルマークよりリリースしたアルバム「Back In The Game」でソロ・アーティストとしても復活をアピール。その後も、兄ジミーとの共演作をリリースするなど元気に活躍を続けました。

2015年には彼のキャリアを振り返るドキュメンタリー映画「Syl Johnson: Any Way The Wind Blows」が制作されました。この映画は日本で劇場公開されることはなく、日本のファンが見るのは難しい状況でしたが、この度彼が亡くなったことを機にVimeoで公開になりました。日本語字幕はないものの、レンタルあるいはダウンロード販売で見ることができます。

Syl Johnson: Any Way The Wind Blows (Vimeo)
https://vimeo.com/ondemand/syljohnsonmovie

本人の語りも面白いですが、ラッパーたちや家族を含む周辺の人たちの証言にも興味深い内容が多く、見ごたえがあります。



シルは1997年の来日時にインタビューをさせてもらいました。ステージでのキャラそのまま、とにかく熱い人でした。ソウルとブルースをまたいで活躍した自分の音楽性のこと、レーベルへの不満、彼の曲をサンプリングをしたラッパーたちのこと、言いたいことが怒涛のように噴き出すインタビューでした。揚げ句の果てには歌いだす。あの熱さは最後の来日となった2014年のフジロック、ビルボードライブ公演でも衰えることななかったです。常にエンジン全開なシルでした。

因みに僕が行ったインタビューはブルース&ソウル・レコーズ誌 No. 20に掲載されています。もう編集部にもバックナンバーの在庫はないですが、機会があれば是非チェックしてみてください。記事を書いた僕が言うのもなんですが、とても面白いです。

blues & soul records (ブルース & ソウル・レコーズ) 1998年 04月号 No. 20
https://www.amazon.co.jp/dp/B006CA6SQM

存在感絶大だった彼がいなくなり、寂しくなってしまいます。RIP。

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【シル・ジョンソン関連の書き込み】
フジロックにブルース&ソウル3人衆が! (2014/2/28)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1502.html

シル・ジョンソン東京公演決定 (2014/3/23)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1506.html

訃報: Mabon "Teenie" Hodges 1946-2014 (2014/6/24)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1542.html

フジロック・レポート:SOUL MUSIC LEGENDS (2014/8/8)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1554.html

パークタワー・ブルース・フェスティバルを振り返る (2017/12/13)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1763.html
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2022/2/17

TOKYO BLUES CARNIVAL 2022開催  ブルース

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ブルース・カーニバルが10年ぶりに開催されます。

まだコロナ禍ではありますが、出演者を日本のアーティストに絞り復活です。開催は東京だけではありますが、場所も第1回目からの会場である日比谷野外音楽堂、MCも同じ後藤ゆうぞう氏が務めます。

吾妻光良、ホトケ(blues.the-butcher-590213)という日本のブルースの2大横綱とでもいうべき人たちを中心に多彩なラインアップになりました。これは楽しみですね。

僕はカーニバルが休止状態になった2013年にこんな書き込みをしています。

ブルースカーニバル、もうやらないの? (2013/11/22)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1469.html

もう無理なのかなと思っていたカーニバルの復活。まずは喜びたいです。ぜひ今後も続けていってほしいです。コロナが終息したら来日アーティストも加える形で。

チケットの発売は2月26日からですよ。

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TOKYO BLUES CARNIVAL 2022
公 演 日 5月29日(日)
会   場 日比谷野外大音楽堂 ※雨天決行
出   演  blues.the-butcher-590213
       【ゲスト】山岸潤史
       吾妻光良&The Swinging Boppers
       【ゲスト】伊東妙子(T字路s)
       三宅伸治&The Red Rocks
       【ゲスト】鮎川誠
       コージー大内
司会進行:ゴトウゆうぞう&カメリヤマキ
時   間 開場15:00/開演16:00
料   金 前売¥7,000/当日¥7,500(全席指定・税込)
一般発売日 2月26日(土)
プレイガイド ・M&Iオンラインチケット
       ・M&Iカンパニー 03-6276-1144(平日10〜15時)
       ・チケットぴあ(Pコード:212-106)
       ・ローソンチケット(Lコード:71201)
       ・e+(イープラス)
備   考  ※開催時の状況により、酒類・食物の販売が出来ない場合がございます。
       ※都合により出演者が変更する場合がございます。
主   催 M&Iカンパニー
お問い合わせ M&Iカンパニー 03−6276−1144(月・金 10〜15時)

詳   細  https://www.mandicompany.co.jp/BluesCarnival/


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【過去のブルース・カーニバルに関する書き込み】

ブルース&ソウル・カーニバル@日比谷野音 (2007/7/24)
https://black.ap.teacup.com/sumori/71.html

最高、ロバート・クレイ! (2009/5/25)
https://black.ap.teacup.com/sumori/233.html

Solomon Burke@Japan Blues & Soul Carnival (2010/5/31)
https://black.ap.teacup.com/sumori/329.html

ジョニー・ウィンター:Japan Tour 2012日程 (2012/1/3)
https://black.ap.teacup.com/sumori/937.html

Johnny Winter & Sonny Landreth setlists (2012/5/28)
https://black.ap.teacup.com/sumori/1092.html

[2022/3/30追記]
blues.the-butcher-590213のスペシャル・ゲストとしてニューオーリンズで活躍するギタリスト、山岸潤史の参加が発表されました。山岸さんは2022年3月に予定されていたFunk on Da Tableの公演がコロナで中止になって以来、帰国できていないはずですから、久々の帰国公演となります。
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2022/2/2

追悼Jimmy Johnson 1928-2022  ブルース

ジミー・ジョンソンが亡くなってしまいました。昨年末から脳卒中を起こすなどして体調を崩し心配しておりましたが、今朝所属レーベルのデルマークが1月31日にイリノイ州ハーヴィーの自宅にて他界したと発表しました。彼の公式サイトにも死去を伝えるメッセージが掲載されています。

一時期は集中治療室に入り危険な状態でしたが、その後退院し快方に向かっているとのことだったのですが。

93歳と高齢だったので、大往生と言えるのでしょう。

コロナ流行直前の2019年暮れに、久しぶりの新譜「Every Day Of Your Life」をリリース。この時点で90歳を超えていたのですが、年齢を感じさせない生き生きとした内容。その後もネット上で演奏を展開するなど、健在ぶりを示していただけに、悔しくなります。

1960年代にシングルを2枚ほどリリースしてはいますが、本格的にデビューしたのは50歳のときという遅咲きでした。早くからソロ活動をしていた8歳下のシルとは対照的です。初のアルバムは1978年の「Tobacco Road」ですが、その3年前の1975年に彼はオーティス・ラッシュのセカンド・ギタリストとして来日しています。(Blues Live!というライヴ盤で聴くことができます。)

音や性格もシルとは真逆で、ファンキーなソウルでガンガン行くシルに対し、ジミーはよりブルースにフォーカスして繊細なサウンドを繰り広げました、。僕が以前シルにインタビューした際、ジミーとの違いや思い出について振ったのですが、シルは「あー、彼はもっとブルースだな...」と一言で片づけられてしまった覚えが(笑)。仲が悪いわけではないと思いますが、そんなことより俺のことを話させろということだったのだと思います。

ジミーは1990年にもオーティスと一緒に来日。このときはソロ・アーティストとしてプレイしました。オーティスの調子が悪そうだったので、洗練されたジミーのサウンドが一層際立って響いた記憶があります。その後1999年にもチョコレートクリーム主催のBlues & Soul Revueで来日。このときはゲストにA.C.リードが同行しました。これが来日としては最後だと思います。

2002年にはシルとの共演作もリリースしていますがその後暫く作品はなく、どうしているのかなと思っていたところに前述の久々のアルバムがリリースされたのでした。リリース後に明らかに露出が多くなり、その様子を見る限りでは殆ど昔と変わらないように見えました。率直に「90歳なのにすげーな」と思いました。

デルマークは、彼の病状を連日Facebookに投稿し続けました。亡くなる前の日の投稿では「彼は自宅で心地よく過ごしている」としていました。一夜明けて訃報が...。

やすらかにお休みください。

お悔み状を送りたい人はデルマーク・レコードが受け付けるとのことです。彼らが取りまとめて責任をもってジミーの家族に届けるそうです。
Delmark Records
4121 N. Rockwell Street
Chicago, IL 60618
U.S.A.

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ジミー・ジョンソン公式サイト
https://jimmyjohnsonblues.com/

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公式サイトに掲載されたジミーの死を伝える文章を和訳しました。

ブルース界の伝説的存在であるジミー・ジョンソンが本日2022年1月31日に亡くなったという悲しいお知らせをしなければなりません。
ジミーは夫であり、父であり、兄弟であり、師であり、友人であり、特別な人生を送った素晴らしい人でした。
ジミーは優しく、寛大で、面白く、明るく、愛すべき存在で、賢く、そして並外れた才能を持っていました。彼の愛情と知識は替えのきくものではありませんが、その影響は、彼がその知性と魅力をもって接した無数の人々の中に今後も生き続けるでしょう。
彼の素晴らしき音楽と大切な思い出が、彼を失った辛いこのときにおいて私たちに癒しを与えてくれますように。
ジミー・ジョンソン、私たちはあなたを常に愛しています。あなたはそれを止めることはできないのです。
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2021/12/26

追悼Sonny Rhodes 1940-2021  ブルース

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Sonny Rhodes at Long Beach Blues Festival, 1996
Photo (c)Masahiro Sumori.


ブルース・ギタリスト/シンガーのサニー・ローズ (Sonny Rhodes)が亡くなりました。81歳。今のところ訃報記事は出ておらず詳細はわからないのですが、12月14日就寝中に亡くなったとのことです。サニーと親交が深かったブルースマンのバードレッグが奥さんから電話で聞いた話としてfacebookに投稿している他、サニーの娘さんのモニークからのコメントでも確認されています。
https://www.gofundme.com/f/sonny-rhodes
https://www.facebook.com/birdlegg.pittman.1/posts/458912092420769

サニーは、ソウル系の曲を歌っても非常にいい味を出しているシンガーでした。ギタリストとしては、特にラップスティールの演奏で知られる人でした。

サニー・ローズは本名をクラレンス・スミスと言い、1940年テキサス州スミスヴィルに生まれました。生後間もなく養子に出され、養父母のスミス姓を受け継ぎました。10代の頃から自身のバンド、デイライターズで活動するようになりましたが、高校卒業と同時に海軍に入隊。1961年、除隊後にオースティンのドミノ・レーベルからデイライターズ名義のシングル” I'll Never Let You Go b/w Something Is Wrong”でデビューを果たします。その後、1960年代には本名クラレンス・スミス名義でギャラクシー、ボーズからシングルをリリース。その後60年代の後半ごろ、サニー・ローズを名乗るようになりました。1969年にはEsiobudレーベルからサニー・ローズ名義のシングルを出しており、この名前のレコードはこれが初めてと思われます。

1970年代に入るとヨーロッパ・ツアーも行うようになり、1977年、スウェーデンのアミーゴ・レーベルからアルバム「I Don't Want My Blues Colored Bright」をリリース。翌1978年には、自身のレーベル、ローズウェイを立ち上げ、シングル"Cigarette Blues b/w The Bloodstone Beat"をリリースしています。

その後1980年代にかけてアパルーサなどヨーロッパのレーベルからの散発的にリリースを行いましたが、1990年代に入り米イチバンからのリリースを皮切りにコンスタントにアルバムをリリースするようになりました。僕もこの頃に何度かライヴを見る機会に恵まれました。

ターバンがトレードマークだったサニーですが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降イスラム教徒だと勘違いされたのか度々脅迫を受けるようになり、普通の帽子に変えてしまいました。近年は新作もしばらく出ていませんでしたが、2016年の以下の動画を見ると近年も元気にしていたことが伺えます。



僕は個人的に大好きな人だったので、本当に残念な思いでいっぱいです。RIP。
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2021/10/29

さよなら、江古田俱楽部  ブルース

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江古田俱楽部が閉店します。西武池袋線江古田駅から歩いて数分、小さなお店でしたが40年以上の歴史を持つ老舗、知る人ぞ知るブルース・バーでした。8月6日にマスターの出原義史さんが急逝し、以後営業はしておりませんでしたが、今月末で退去するそうです。

先日、お店を覗きに行ってみたら、マスターの奥様やお店に出演していたミュージシャンの人たちが片づけをしていました。たくさんのアンプや本、レコードなどが並べられていました。これらの多くは、お店にゆかりのなる人の下に引き取られていくようです。

思えば初めて僕がお店を訪れたのは1990年代の半ばくらい、スカンクちかのさんがここでライヴをやるというので行ったのが初めてだったと記憶しています。その後は、ずっと行っていなかったのですが、一昨年ZYDECO KICKSのライヴを見に本当に四半世紀ぶりくらいに行きました。しかし、時間が止まったように見覚えのある光景がそこにはありました。店内の壁を埋め尽くす古いブルースのポスターや楽器、雑然としながらもなんだか落ち着く隠れ家的な空間。マニアックなお店のようで、嫌みなところのない気楽な雰囲気がありました。それは、マスターのお人柄がそういうお店を作ったのでしょう。お客さんは勝手に冷蔵庫を開け、自分でほしい飲み物を取って栓抜きで開け、お代を置いていくセルフサービス。そんなシステムも慣れれば心地よいんですよね。

昨年2020年は、幸運にも3回ほどお店に行く機会がありました。

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Delta Beat@江古田倶楽部(2020.12.22)

「今度、いろいろお話をきかせてもらえないでしょうか?ウェブでお店を紹介したいんです」

これだけ長い間お店をやられているマスターなので面白い話が聞けるのではないか、そう思いマスターに聞いてみたら「いいよ」と快諾いただきました。しかし、コロナやマスターの入院でお店が営業できない日々が続き、お話を聞くことはかないませんでした。とても残念です。

皆「エコクラマスター」と呼んでいたので、僕はお名前すら知りませんでした。昨年お話しした際、お歳は73歳だと言われていたので、74歳だったのでしょうか。近年は体調がよくなかったようでしたが、よく東長崎のCREOLE COFFEE STANDまでお散歩していたそうです。

僕は常連と呼ぶには程遠いですが、久しぶりに訪れても変わらずに待っていてくれたこのお店がなくなってしまうことに淋しさを感じています。

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エコクラマスター、出原義史さん (2020.7.17)
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