2019/3/19

アナログで蘇る50年代のチャンス音源  ブルース

J.B.ハットーとジョン“スクールボーイ”ポーターの1950年代のチャンス・レコード音源が、この度日本盤アナログ・ディスクとしてリリースされました。チャンス音源は権利上の問題から、これまで長らく正規盤のリリースがありませんでした。

それがこの度、社主アート・シェリダンとの直接契約により、オリジナル・アナログ・マスターテープ起こしのレコード化が実現したのです。これは快挙と言えるでしょう。

チャンス・レコード(Chance Records)は、1950年にレコード・プロデューサーのシェリダンによってシカゴに設立されたレーベルです。1954年までの短期間ながら、名門チェス・レコードと競い合うように活動をし、良質なブルース、R&B、ドゥー・ワップ、ジャズなどの作品をリリースしたことで知られています。

今回のレコード化は、最高の音質を実現するため、レコーディング当時使用されていたAmpex社製テープ・レコーダーでマスターテープを再生し音源を一旦デジタル化、その上でアナログ・レコードに記録しているそうです。パッケージは1950年前後に贅沢なメディアとしてレコード各社がリリースしていたジャケット付きの10インチ・レコード形式です。ジャケット・デザインは表も裏も当時の雰囲気を見事に再現しています。シングル盤ではなくいわゆるミニLPであり、片面に3?5曲が入っています。今回初めて陽の目を見る未発表テイクも入っているのは、正規盤ならではでしょう。

制作者側の徹底的な拘りを感じさせるリリースです。

実際に聴いてみると、60年以上前のレコーディングとは思えないほどクリアな迫力のある音が楽しめます。

ちょっと値段としてはお高めではありますが、LPより一回り小さいジャケットとレコード盤は手に取るだけでも楽しさいっぱいです。このリリースはもちろん限定版で、アナログ・レコードのみとなります。

スクールボーイ・ポーターの方は、今注目を集めるBloodest Saxophone(ブラサキ)のリーダー、甲田“ヤングコーン”伸太郎が選曲と楽曲解説をしています。これも要注目です。

肝心の音楽ですが、J.B.ハットーはこの音源がデビュー作になります。彼のトレードマーク的なスライド・ギターバリバリのスタイルは、まだここでは確立されていませんが、後年にはない瑞々しさに溢れています。

スクールボーイ・ポーターは当時のチャンスの看板スターで、重厚なブロウを聴かせるテナー・サックス奏者です。ブラサキ甲田も太鼓判を押す、音色の”エロさ”にもご注目を。

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J.B. Hutto and His Hawks
Things Are So Slow -The Legendary Chance Masters- (SPACE-701)
2019年3月9日発売
価格:2,700円(税抜)
※解説 ジム・オニール (リビング・ブルース・マガジン共同創設者)


SIDE ONE
1. Combination Boogie 2:15 [Chance 1155 C-5121-5]
2. Now She’s Gone 3:16 [Chance 1155 C-5120-6]
3. Lovin’ You (Great Lovin’) 2:31 [Chance 1160 C-5119-4]
4. Pet Cream Man 2:27 [Chance 1160 C-5118-2]
5. Price Of Love 3:00 [Chance unissued C-5152-6]

SIDE TWO
1. Things Are So Slow 3:45 [Unissued take of Chance 1165 C-5153-1]
2. Dim Lights 2:47 [Chance 1165 C-5154]
3. Mouth Harp Mambo [Instrumental] 5:35 [Chance unissued C-5156-3]

All songs written by J.B. Hutto, except “Things Are So Slow” by Huzzel

<Side One 2, 4, Side Two 2, 3>
Joseph Benjamin Hutto (vocals and guitar), George Mayweather (harmonica), Joe Custom (second guitar), Eddie Hines (washboard/drums)
Chicago, March 3, 1954

<Side One 1, 3, Side Two 1, 4>
Joseph Benjamin Hutto (vocals and guitar), George Mayweather (harmonica), Little Johnnie Jones (piano), Joe Custom (second guitar), Eddie Hines (washboard/drums)
Chicago, October 19, 1954


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John "Schoolboy" Porter
Blow Heavy -The Legendary Chance Masters- (SPACE-702)
2019年3月6日発売
価格:2,700円(税抜)
※選曲・解説 甲田“ヤングコーン”伸太郎(from Bloodest Saxophone)

SIDE ONE
1. Nevertheless (Kalmar-Roby) 2:59 [Chance 1104 U-5001-6] November 15, 1950
2. High Tide (J. Porter) 3:01 [Chance previously unissued U-5000-2] November 15, 1950
3. Junco Partner (Shad-Ellen) 2:46 [Chance 1119 U-2123-3] May 1, 1952
4. Josie Jones (featuring Johnny Sellers) (Sellers-Porter) 3:03 [Chance previously unissued take U-2129-1] May 1, 1952

SIDE TWO
1. Tojo's Boogie aka Rollin' Along (J. Porter) 2:46 [Chance 1114 U-1968-2] July 25, 1951
2. Stairway To The Stars (Signorelli-Melnick) 3:13 [Chance 1111 U-1967-5] July 25, 1951
3. Sentimental Journey (Brown-Homer) 2:43 [Chance 1117 U-1968-2] July 25, 1951
4. Tennessee Waltz Part II (Stewart-King) 2:27 [Chance 1103 U-5003-3] November 15, 1950

John Schoolboy Porter and His Schoolboys
Side One 1, 2, B3 & 4: Schoolboy Porter (tenor sax)/ Jesse Hart (piano and vocals on B4)/ Walter Broyle (bass)/ Carl Scott (drums)
Side Two 3, 4, B1 & 2: Schoolboy Porter(tenor sax)/ Art Hoyle (trumpet) / Peterson (baritone sax) / Eugene McDuffy [Alias Jack McDuff] (piano/organ) / Floyd Dungy (bass)/ Vaciro (drums)

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発売・販売元:株式会社スペース・エイジ 東京支社 音楽企画制作事業部
〒150-0022 東京都渋谷区恵比寿南2-1-8 恵比寿OTビル3F
TEL.03-6303-4609 / FAX.03-4496-4555
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2019/3/18

訃報:Abb Locke 1934-2019  ブルース

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Abb Locke / Big City Blues (1989)

シカゴのブルース・シーンで活躍したサックス奏者、アブ・ロック(Abb Locke)が2019年3月9日、イリノイ州カントリークラブヒルズにて亡くなりました。84歳でした。

1934年8月25日、アーカンソー州コットンプラントに生まれたアブは、その後シカゴに移住し、ハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズをはじめ、往年のブルースの大物たちとの共演を重ねました。彼が共演した人たち中には、他にココ・テイラー、アルバート・コリンズ、エディ・クリアウォーター、ロニー・ブルックス、バディ・ガイなどがいます。多分、挙げ出したら切りがないでしょう。

1983年には自己名義のシングル”Cleo's Back”をルースター・ブルース・レーベルからリリース。これにはゲストでオーティス・ラッシュが参加しました。1989年には、ソロ・アルバムとしては唯一の「Big City Blues」を自主制作でリリースしています。

1998年には、モントルー・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパンに「レジェンズ・オヴ・シカゴ・ブルース・オールスターズ」の一員として出演。東京国際フォーラムでヒューバート・サムリンやウィリー・“ビッグ・アイズ”・スミスらと共演をしました。(大阪公演は、その翌日ベイサイドジェニーにて)

僕はその来日の際、取材でオールスターズのご一行と会ったのですが、話し出したら止まらないヒューバートとは対照的に、アブは比較的物静かな紳士だったように記憶しています。自宅の連絡先を書いてくれたのを今も持っています。

近年は、リル・エド&ザ・ブルース・インペリアルズで活躍したデイヴィッド・ウェルドのインペリアル・フレイムズのメンバーとして活動していました。

ご高齢とは言え、シカゴ・ブルースの全盛期を知るヴェテランの訃報に淋しいものを感じます。

安らかにお眠りください。

彼の葬儀は3月23日、カントリークラブヒルズのLeak & Sons Funeral Homeにて執り行われるそうです。葬儀費用を捻出するためのクラウドファンディングサイトがインペリアル・フレイムズのMonica Myhreによって立ち上げられました。

Abb Locke's Funeral
https://www.gofundme.com/abb-locke039s-funeral

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Legends of Chicago Allstars (1998年8月15日撮影)
(左から) Jon McDonald, Hubert Sumlin, Little Smokey Smothers,
Calvin "Fuzz" Jones, Henry Gray, Abb Locke, Willie "Big Eyes" Smith


この写真に写ったオールスターズの面々も、ヘンリー・グレイとジョン・マクドナルドを除き故人となってしまいました。しかし、グレイはこの中で最年長です(1925年1月19日生まれ、今年94歳!)。彼がいまも健在なのはすごいと思います。だいぶ歳を取ったなとは思いますが、これからも長生きしてほしいですね。
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2019/3/18

Dan Penn & Spooner Oldham 20年ぶりの来日公演レポート  R&B/ソウル

ダン・ペン&スプーナー・オールダムの来日公演、最終回を見てきました。シンプルに2人だけで淡々と名曲の数々を歌うコンサート。それは僕が今まで見たことがあるライヴの中でも最も地味な部類のものだと思います。一方間違えば場末な雰囲気になってしまいそうな飾り気のないコンサートには大勢のお客さんが詰め掛け、熱気にあふれていました。

ダンは9年前に一度来日していますが、この2人で来日するのは1999年以来実に20年ぶりです。

ステージ前半は、2人でやったライヴ盤「Moments from This Theatre」からの選曲を中心に、後半はもう少し変わり種の曲を混ぜ込んだ展開でした。盛り上げどころというものも特にないマイペースな2人。持ち歌も多いだけに、このまま永遠にやっているのでは?という感じもしましたが、開始後75分ほど経ち、MCの人が出てきて締め、一度終了。その後アンコールを2回やり、終わった頃にはビルボードライブでの1ステージとしては長めな90分近い時間が過ぎていました。途中、ボックストップスの話をしながら2人でアカペラで歌った”The Letter”はおまけのようなものでしょうが、一応フルコーラス歌っていたので、セットリストに入れました。すると、全部で19曲。結構これって多いですよね?

ドニー・フリッツとの共作の"Rainbow Road"や"Memphis Women And Chicken"も飛び出しました。ドニーの久々の来日公演は、同じこの会場で2週間後あります。遥々と米南部からこういう人が立て続けに来るのは嬉しいですが、不思議な感じもしました。

終盤になって「一番はじめに書いた曲のひとつ」と言って"Is A Bluebird Blue"を歌いました。渋くゆるいシャッフルはダン・ペンいわく「ジミー・リードが大好きだったから、そんな感じをイメージした」んだそう。

この日の選曲の中でも個人的には”I’m Living Good”が染みたなぁ。ダンが「これって誰がやってたっけ?」とブツブツ言うと、スプーナーが「オヴェーションズだよ」と返します。「ああ、オヴェーションズだったな」。2人の会話はMCというよりは、なんだか独り言のようで、半分オフマイクだったりするので、何を言っているのかわからないところも(笑)。そんなのんびりほのぼのした時間でした。

とりあえず、メモっていたセットリストを上げておきます。この日の一部は、アンコールはなかったそうですが、最終回だったからか、2回のアンコールに応えてくれました。ステージ進行は、1曲が終わると2人顔を見合わせながら、歌帳らしきものをペラペラとめくる感じで、カチッとしたセットリストはなかった模様です。

途中リクエストの声も挙がりましたが"My Heart's In Memphis"のリクエストに対して、ダンは「あぁ、アーマ・トーマスが歌ったやつか。あれはできないんだよね」とあっさりスルー(笑)。一応、用意している曲からの選曲なんですね。当たり前か。。。

20年前の来日公演や前述のライヴ盤と雰囲気は殆ど変わらないんですが、あとあと考えてみるとライヴ盤に入っていた曲でも”Met Her In Church”や”It Tears Me Up”など、意外とやっていない曲もありました。でも、押さえるところは押さえていたし、たっぷりやったので、不満はないですけどね。

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Dan Penn & Spooner Oldham
Sun., March 17, 2019 (2nd show 19:30)
Billboard Live Tokyo
19:30- 20:57 (encore 20:48- )

Setlist
1. I’m Your Puppet
2. Sweet Inspiration 
3. The Letter (The Box Tops - a cappella)
4. Cry Like A Baby
5. Do Right Woman, Do Right Man
6. You Left the Water Running 
7. The Dark End of the Street 
8. Nobody’s Fool 
9. I’m Living Good 
10. Ol’ Folks 
11. I Do 
12. Rainbow Road
13. You Really Know How To Hurt A Guy
14. Take A Good Look 
15. Memphis Women And Chicken 
16. Is A Bluebird Blue
17. Nine Pound Steel
-encore1-
18. Long Ago
-encore2-
19. Raining in Memphis

[Personnel]
Dan Penn - lead vocals, acoustic guitar
Spooner Oldham - keyboards, harmony vocals
6

2019/3/11

訃報 Eddie Taylor, Jr. 1972-2019  ブルース

シカゴのブルース・ギタリスト/シンガーのエディ・テイラーJr.が亡くなったとの情報が入ってきました。まだ46歳という若さでした。正式な発表やニュース記事は現時点ではなく、にわかには信じがたいのですが、彼の共演者や知人だけでなく、兄弟たちもFacebookに彼の死についてのコメントなどを出しているので、残念ながら亡くなったこと自体は間違いないものと思われます。

3月3日、教会礼拝での演奏中に重い心臓発作に見舞われ、3月8日、現地時間の午前2時に心不全で息を引き取ったとのこと。エディは、腎臓病と高血圧の持病を抱えてはいましたが、発作で倒れる前日も普通にギグをこなしていたそうで、倒れたのは急なことだったようです。

エディの父親は、シカゴ・ブルースの黄金期を支えたいぶし銀のギタリスト、エディ・テイラーであり、息子の彼もオールド・スタイルのシカゴ・ブルースの継承者のひとりとして親しまれていました。ウルフ・レコードからソロ作を計6枚出しています。(ウルフ・レコードのサイトにはまだ訃報は出ていません。 → 2019.3.15付で「Rest in peace, Eddie Taylor Jr.」と題したNicola Folterbauer氏のコメントが掲載されました。

エディは2007年に、ルリー・ベルのバンドのメンバーとして来日もしています。ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバルで日比谷野外音楽堂のステージに立った他、ライヴハウス公演なども行いました。

その際ルリーの単独公演が目黒のブルース・アレイであり、僕はそれを見に行ったのですが、ブルースマンとしては珍しいほどの控えめで物静かなエディの姿が非常に印象に残っています。同じカーニバルに出演していたココ・テイラーのバンド、ブルース・マシンのメンバーも会場に顔を見せ、途中からフリーなジャムになったのですが、ルリーやブルース・マシンの面々に「お前も一曲やれよ」と囃し立てられて、妙に照れながらマイクを取っていました。男性の僕が言うのも変ですが、可愛い人でした。

誰もがいつかは亡くなりますが、彼のようにまだこれからという歳の人の訃報はショックだし、やるせないものがあります。ただただ安らかに眠ってくださいとしか言いようがありません。より正確な情報や葬儀の日程などは、正式な発表を待ちたいと思います。

Rest in Peace, Eddie Taylor, Jr. (March 27, 1972 – March 8, 2019)

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EDDIE TAYLOR, JR. DISCOGRAPHY
1998年 Lookin' for Trouble -A Tribute to Eddie Taylor- (Wolf Records)
2004年 Worried About My Baby (Wolf Records)
2006年 Mind Games (Wolf Records)
2009年 I Got to Make This Money, Baby (Wolf Records)
2010 年 From the Country to the City (with Tré and Harmonica Hinds) (Wolf Records)
2015年 Stop Breaking Down (Wolf Records)

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【情報源】
KRVM's Breakfast With The Blues(オレゴン州FMラジオのブルース番組)
現在のところ一番詳しい情報が出ています。
https://www.facebook.com/59061506607/photos/a.334361146607/10156398200381608/

Back To The Roots(オランダのブルース雑誌)
妹デミトリア・テイラーからの情報として心臓発作で死去したと伝えています。
https://www.facebook.com/BluesmagazineBackToTheRoots/photos/a.188359574591646/2149488245145426/

-兄弟たちのFacebook-
Milton Taylor(弟)
https://www.facebook.com/milton.taylor.927/posts/317688668950896

Larry Taylor(兄)
https://www.facebook.com/larry.taylor.739/posts/2114123178676719

Demetria Taylor(妹)
コメントはしていませんが、3月8日以降、エディーと彼女が一緒に写った写真などを公開しており、ファンからのお悔やみの書き込みが寄せられています。
https://www.facebook.com/demetria.taylor.37
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2019/3/7

Bessie Smithとの出会い  ブルース

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先日、アマゾンプライムで映画「ブルースの女王(原題:Bessie)」を見ました。2015年の映画ですが、見るのは初めてでした。

原題を見れば察しがつくと思いますが、1920〜30年代に活躍したブルース・シンガー、ベシー・スミスの人生を描いたものです。クイーン・ラティファがベシー役をやり、レコーディングシーンなど、当時の雰囲気を再現したそれなりに見応えのある映画でした。

そこで思い出したのですが、僕にとってベシー・スミスは、一番最初に聴いたブルース・シンガーのひとりだったのです。

僕は、ロックの人たちを通じて、主にギタリストからブルースにハマっていったのですが(よくあるパターンです)、ベシーについては、それとは別口でした。ベシーやリロイ・カー、メイミー・スミスといった戦前のシティー・ブルースの人の多くはロックとのつながりが比較的薄く、普通だったらそっち方面からは、すぐには行き着かない人たちだと思います。

きっかけは高校1年のとき。音楽の授業でした。

その授業では、レナード・バーンスタインの「音楽のよろこび (The Joy of Music)」という本を教材として使いました。バーンスタインと言えばクラシック音楽の巨匠ですが、この本はクラシックにとどまらず色々な音楽を、バーンスタインの視点から紹介していく内容だったのです。本にはバーンスタイン自らが語ったレコードが付属しており、彼は音楽をかけ、語り、ときには自ら歌いながら、解説をしていました。(当時の記憶なので、多分そんな感じだったかと思います。)

その中で、ブルースを紹介する章があり、バーンスタインはベシーの”Empty Bed Blues”を挙げてブルースの12小節体系とその表現について解説していたのです。



僕としては、当時ブルースに興味を持ち始めていた時期だったので、こんなブルースもあるんだ!と凄く印象に残り、高校を卒業するまでに、彼女の残した160曲を収めたLPを入手し、聴くようになっていました。

その過程で、エリック・クラプトンがデレク&ザ・ドミノズでやっていた”Nobody Knows You When You’re Down & Out”のベシー・バージョンに出会いました。点と点がつながったような感動をよく覚えています。当時デレク&ザ・ドミノズのアルバムは大好きで毎日のように聴いていたので、彼らの演奏(1970年)から遡ること40年以上昔にこの曲が存在していたことはまさに目から鱗でした。切々とこの曲を歌い上げるベシーを聴くと涙が出てきました。

授業の中で取り上げたのは、「音楽のよろこび」の中のごく一部だったと思いますが、この本との出会いは僕の音楽の視野を広げるきっかけとなりました。

このブログを見てくれる人は音楽好きが多いと思いますが、似た音楽が好きな人どうしでも、出会い方は千差万別。そこが面白いところでもあるのですよね。思わぬところに出会いが転がっているのかも。
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